その後の二人。【前編】(DDFF/R18)

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部屋を出る前に一度だけ振り返った。そうして窓際にフリオニールがくれたバラの花をそのまま置いてきたのを思い出し、そっとその花を手に取った。その時、腰に下げていたホルスターの金具が微かな音を立てた。その音にフリオニールが跳ね起きた。あまりにも勢い良く起き上がったのでベッドが大きくきしんだ。ライトニングはフリオニールの大仰な反応に驚いて咄嗟にその場から駈け出した。
「ライト!!」
背後からバタバタと足音が響き、あっという間に腕を掴まれた。
「ライト!どうして…!!」
深夜の小さな宿屋でのこの騒ぎだ。たちまち他の部屋から抗議の声が上がり、フリオニールは慌ててライトニングの手を引いて部屋に戻ろうとする。幸いライトニングが大人しくそれに従ったのにホッとして扉を閉めた。
「ライト…」
フリオニールはライトニングの両肩を掴みその顔を正面から見据えるが、ライトニングは俯いて決してフリオニールの目を見つめ返そうとしない。
(グダグダだな…)
ライトニングは心の中でそうごちた。あまりにもお粗末だ。まるで気付いて下さいと言わんばかりではないか。女々しい自分と自分の未練がフリオニールを傷つけてしまったことにライトニングは後悔するばかりだ。
フリオニールもどうして良いか分からなかった。この世界に来た理由もすぐに言い出せなかったライトニングだ。やはり皇帝やユウナと会った時に何かがあったのに1人思い悩んで、自分一人で解決しようとしているのだろう。
「どうして…君は…」
ライトニングは何も答えられなかった。頭の中で行かなくてはという意志とフリオニールと離れたくないという感情がせめぎ合う。お前のためだ、と言えばフリオニールは決して自分を1人で行かせはしないだろう。何か突き放すような言葉が必要だ。
「これは…私の問題なのだ…フリオニール…」
見えない手で首を締めあげられたかのように息が苦しい。でも、言葉を続けなければ。それも拒絶の言葉でなければだめだ。
「お前がいては邪魔になる。」
肩を掴むフリオニールの手の力が緩んだ。
「お前には…何も関係がないからだ。」
ライトニングはフリオニールの顔が見られなかった。今の一言でどれだけフリオニールを傷つけたのだろう。
「だから…もう私を追うな。」
「嘘だろ…ライト、だって…」
まだ足りないのか。もっと言わなくては。たとえ血を吐いても舌を根こそぎ引きちぎられても言わなくては。
「お前はもう…必要ない…」
ライトニングは漸く顔を上げ、フリオニールを見つめた。顔から生気とでも言うのだろうか、温かみや目の光が全て消え、呼吸すら止まって見えた。まだ死人の方が人間らしいと思えるほどフリオニールの表情には、ただそこに目と鼻と口があるというだけでそれ以外の全てが消失していた。
なんという表情をしているのだろう、させてしまったのだろうと思う。これで良かったのだろうか。感情が泣いて喚いてライトニングの胸を内側から激しく叩く。本当に、本当に、これで良かったのだろうか?
(私は…決めたのだ…)
あの星空の下でフリオニールと彼の居場所を守ろうと。
(全ては…フリオニールのため…だから…)
もう別れは済んだ。あとは部屋を出て行くだけだ。なのに肩に置かれたままのフリオニールの手がずっしりと重く感じて動けない。フリオニールが離してくれれば出て行けるのにと考え、自分が振りほどいて出ていけばいいだけなのだと気がついた。部屋はかび臭くて薄暗く、さっきから空気まで薄くなったような気がする。目の前に居るのは自分が傷つけ、抜け殻にしてしまったフリオニールだ。それなのにこの期に及んでそれができない自分のエゴにライトニングは呆然とした。
(…今なら…まだ…)
フリオニールに詫び、隠していることを全て話してしまえば。だが、それを話したところで自分の運命が変わるとは思えない。これで良いのだ、フリオニールが悲しんでも、フリオニールの目の前で自分が消えていくのを見せるよりはよっぽど良いはずだ。
(ためらうことを自分に許すな…)
気付いて欲しかった。引き止めて欲しかった。そのせいで余計に傷つけた。
(これ以上は、もう…)
ライトニングはフリオニールの左手首を掴んで自分の方から下ろした。それはなんの抵抗もなくライトニングの肩から離れ、もう完全に意志の力を失っているのだろう、フリオニールの肩からだらりとぶら下がった。ライトニングは同じようにして反対側の手首に手を掛けた。
その時、フリオニールの唇が微かに動き、何か、小さく言葉を発したのがライトニングの耳に届いた。ライトニングは思わず顔を上げ、その言葉の続きを待った。だが、その唇は今にも何か言い出しそうにうっすらと開いているのになんの言葉もフリオニールから発せられない。ライトニングは怪訝に思い、そして突然旧友が残していった言葉を思い出した。
「あいつ、笑うのが苦手だろ?」
ああ、と全て得心がいった。ラグナが言いたかったのは笑うことだけではない、フリオニールは自分の本当の気持ち、自分でも気付いていないような深い所に沈んでいる彼が真に欲するものを表現することが苦手なのだ。いつだって仲間のことを思い世界のことを思いそのためだけに戦ってきたフリオニール。いつの間にか周りが求めているものが自分の求めているものとなり、時折感じた主体性のなさはそこから来ていたのではないか。
もしそうだとしたらそんなフリオニールを置いて行くのはますます躊躇われた。フリオニールが本当に望むこと、心の底からの願い、それは自分と一緒に居ること、ただそれだけなのに。
(でも…私は消えてしまうのだ…)
2度目の別れだな、とライトニングはぼんやりと考えた。異世界での別れは別れを告げる暇すらなかった。あの時はまだ良かった。自分の犠牲は次の戦いに希望を繋ぐことだったから。だが今はこれで良いのだろうかと未だに惑う。フリオニールをこんなに傷つけ、悲しませて本当に?
だがフリオニールのためにしてやれることは何もないのだ。ライトニングがどれほど叶えてやりたいと思ってもそれは不可能なのだ。何故という言葉が頭の中で響き、こだまする。こんなに辛い想いをし、させてしまうなら、
「…何故…私達は…」
また出会ったのだろう、そう言おうとしてライトニングは口を閉ざした。これ以上自分達を哀れに思う気持ちを持つのは止めよう思ったのだ。
「一緒にに居ることは…もう、出来ないのだ…」
だからせめてフリオニールの居る世界だけは守らせて欲しい。2人で歩いた雪原、暖かい宿でくだらないケンカをしたこと、毎朝一緒にベッドでとった朝食、そしてあの星空。ほんのすこし前のことなのに、何もかもが懐かしくて胸がかきむしられた。
キリがない、とライトニングは小さく頭を振った。でも、せめて最後にこれくらいは言わさせて欲しい。ライトニングはフリオニールの頬に触れた。
「…すまない。」
突然強く抱きしめられた。息が停まるほど強く抱き締められ、涙がこぼれそうになる。もう自己憐憫は終わりだと思っていたのに、夢中で抱きしめてくる腕の強さと、ライトニングの肩に顔を埋め、押し殺した嗚咽とわずかだが水滴が首筋に滴り落ちてきて、それが簡単に決意が揺らがせる。フリオニールはまるで子供がワガママを言うときのように頭をぐりぐりとすり寄せてくる。ライトニングはどうすることも出来ず、ただフリオニールのさせたいようにするしか出来ない。
「……………っ?」
ふとその首筋に違和感を覚え、ライトニングは反射的にフリオニールから身体を離そうとした。それをフリオニールはライトニングが行ってしまうのではないかと思ったのか、更に力を込めて抱きしめる。フリオニールの頭の中も、どうしてという言葉と、行かないでくれという叫びに満ち溢れていた。なのに心のどこかでその言葉と叫びにそれを止めようとする力がはたらくようでそれを言葉に出来ないのだ。離したくない、でもそれを言ってはいけない、落ち着かなくては、でもとてもじゃないが冷静ではいられない。
(行ってしまう…)
抱きしめたまま、ライトニングを身体ごと押して扉に押さえつけた。正面から顔を覗きこむと、背中を打ち付けたのだろう、痛みに顔を歪めている。理由を問い質し話し合いをしたいのに、フリオニールはどうして自分がこんなに乱暴なことをしているのか分からなかった。ライトニングも薄目を開けフリオニールを見つめ返す。追い詰められて、ひたむきに見つめられてこんな時なのに胸が高鳴る。フリオニールは何かを言おうと唇が言葉を紡ぐために形を作るのだが、やがてそれすら出来なくなって唇をぎゅっと噛み締めた。さっき流した涙のせいで長いまつ毛と目の周りが濡れていた。
ライトニングは再び目を閉じた。これ以上フリオニールにかける言葉も為す術もなかったからだ。そうしてそれはフリオニールも同じなのだろう。常に皆のことを考え、ライトニングの決意を尊重しなければと自分を抑えてきたフリオニールと、ライトニングを離したくないというフリオニールの強い気持ち。バラバラになった心の強い方がライトニングを捕らえて離さないのだ。フリオニールが一際強く自分を抱き締め、ぐっと顔を止せ、噛み付くように唇を押し付けてきた。ライトニングはそれを振りほどくことも拒絶することも出来なかった。
フリオニールは性急に舌をねじ込んできた。ライトニングは少し迷って、そして気がつくとそれを受け入れていた。自ら顔をフリオニールに押し付け、鞭の様に暴れまわる舌の表面を優しくくすぐり、ありったけの想いをこめて瞳を見つめ返したライトニングの反応はますますフリオニールを混乱させた。自分を拒絶し、1人で旅立とうとしていたのに、乱暴な自分の行為に慈悲にも似た眼差しで受け入れてくれるのだ。やはりライトニングが何かを隠していて、ひどい言葉を投げかけたのもその溜めなのだと理解したが、それはフリオニールの心の中の綱引きを悪化させるだけだった。
(ライトがこんなに苦しんでいるのに…俺は…)
自分を蔑む気持ちが加速するのに、抱きしめた腕を緩めることが出来ない。右腕でライトニングを縛り付けるように抱いたまま背中に回した左手をジャケットの裾から潜り込ませ、腰のホルスターの金具を外す。ごとり、と重い音を立てて2つに折りたたまれホルスターに収められていたライトニングのデュアルウエポンが床に落ちた。それから腰の横の赤いポーチのベルトも外す。利き腕ではないのに、左腕で器用にスカートのベルトも取り去り、ウエストのボタンを外しファスナーを下ろした。スカートを下ろされても諦めに似た気持ちが先に立ち、ライトニングは特に抵抗もしなかった。むしろ、こんなにしっかり押さえつけなくても、もう逃げたりもしないのにな、とぼんやりと考えていた。装備が外されて身体が軽くなっていくにつれ、心が重くなった。手袋、肩甲を外されたあと、漸くライトニングに逃げる気持ちが失せたのを察したのかフリオニールは腕をゆるめ、ジャケットを脱がせた。残っているのはブーツと、ニットと、丈の短い黒いレギンスだけだった。肌が露出した所が肌寒くて鳥肌が立った。
「ライト……」
僅かな衣類しか身に付けていないライトニングを改めて見つめ、自分がしでかしたことに臆したのか、漸くフリオニールが口を開いた。ライトニングは頭をそっとフリオニールの胸にもたれかけさせた。
「…寒いんだ。」
全てが間違っている。でも、離したくない、離れたくないという気持ちだけは本当だ。
「暖めてくれ…」
この世界に来て初めて記憶をなくしているフリオニールに抱かれたことを思い出した。そうだ、あの時も寒かった。
「………抱いてくれ。」
最後かもしれないだろ、という言葉を飲み込んで、ライトニングは緩んだフリオニールの腕を掻い潜って広い背中に腕を回し、優しく撫でた。こんなのはおかしい、間違っている、フリオニールもそう思って理不尽さに奥歯をギリ、と噛み締めた。さっきまでの感情に振り回されていた時とは違う、冷水を背中に浴びせられた気分だ。こんな気分で愛する人を抱くなんてとても、そう思ったが、それでもライトニングを求める気持ちを止めることができない。暖めてくれ、という言葉はフリオニールにもライトニングが目覚め、最初に共に過ごした夜のこと思い出させた。あの時と同じようにそれがフリオニールに再び決意を固めさせた。ライトニングを抱き上げたがろくに顔も見ることが出来なかった。そのままベッドまで運び、横たえ、そこで改めてライトニングの顔を正面から見た。ライト、きれいだ、といつものように言いかけて、それはとても場違いだと考えなおし、黙って柔らかなその唇を塞いだ。

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