オペラ座の空賊(FF12)

この記事を読むのに必要な時間は約 11 分です。

パンネロが衣装係に起こされたのは開演の1時間前だった。
化粧を直し、折角緩めてもらったコルセットを再びきつく締め上げ、 慌ただしく楽屋を出て行ってしまった。
疲労と緊張のピークで、パンネロは立っている事が出来ず、 背もたれに顔を埋める様にしてぐったりと椅子に座り、 進行係が自分を呼びに来るのを待っていた。
今頃劇場の前はたくさんの観客が並び、平和主義の若い皇帝と、 救国の女王陛下を迎えさぞ賑やかな事だろう…とパンネロは思った。
(でも、ここは静かだわ…)
夢だと分かって見ている夢の様な、そんな奇妙な感覚にとらわれる。
幕が開くまであと30分ほど…という時、扉がノックされた。
きっと進行係だろうと思い、のろのろと立ち上がり、 扉を開くとそこにはヴァンが立っていた。
ヴァンは相変わらずパンネロがまともに見られない様だ。小さく、
「行くぞ。」
とだけ言うと、先に立って歩き出した。
パンネロはバルフレアとフランがここに来た事を話そうかと思ったが、 何故か躊躇われてしまい、黙って後に続いた。
進行係ではなく、ヴァンが来たのはおそらく護衛の為だろう。
だが、二人の間に気まずい空気が流れ、 押し黙ったまま舞台の袖口までやって来た。
「ここで待ってろってさ。」
漸くヴァンが口を開き、パンネロに向き直る。
そして、何かを言おうとして俯き、やっと顔を上げたかと思うと、
「…ちゃんと、最後まで歌えよな。」
「分かってるよ…仕事だもの。」
「そうじゃなくて…!」
ヴァンが言葉を続けようとした時、 客席から割れんばかりの拍手が起こった。
「…アーシェとラーサーが来たんだ。」
ヴァンの言葉に、パンネロが心を動かされた様子はない。
どこか上の空で遠くを見ている様なパンネロに、ヴァンは不安になる。
「…大丈夫か?」
「大丈夫だよ、歌詞も全部覚えたもん。」
「だからそうじゃなくって…!」
「大きな声出さないで。客席に聞こえちゃうよ。」
何かを言おうとして言葉が続かず、ヴァンは唇を噛み締める。
「ねぇ…ヴァン?」
ヴァンは黙ったままパンネロを見つめ返す。
「ヴァンは…見ててくれるの?」
縋る様な瞳に見つめられ、ヴァンは気まずげに俯いてしまう。
「…そんな暇、あるわけないだろ。」
冷たく言い放つとそのまま踵を返し、どこかへ立ち去ってしまった。
パンネロもその背中に何か言葉を掛けようとして果たせず、その後ろ姿を黙って見送った。
(…なによ、あの言い方…)
言われなくてもちゃんと務めはは果たすつもりだ。
今までいい加減に役割を放棄した事はない。
なのに何故、今回に限ってヴァンはあの様な言い方をしたのだろう。
パンネロがヴァンがどこかおかしい事に気付いたのはその時だった。
いつものヴァンなら決して言葉に詰まったりしない。
良くも悪くも思ったままを口にする。
(ミゲロさんの所でダンチョーさんと会った時はそんな様子はなかったのに…?)
だが、考えようとすると、胸が痛んで思考を邪魔する。
(見てて…くれないんだ…)
ヴァンが引き受けた依頼はこの公演を恙無く終わらせる事だ。
のんびり舞台を観ている暇などない事はパンネロは充分承知している。
承知してはいるのだが、何故こんなに不安になるのだろう。
舞台の袖でどうしようもない孤独感に苛まれていると オーケストラの演奏する静かな序曲が流れて来た。
(私の気持ちなんかお構いなしに、舞台は始まるのね…)
ふとバルフレアの言っていた言葉が思い浮かんだ。
“…舞台に立って歌う事の方が大事だとさ。”
「舞台に立って歌う事ってそんなに大事なのかな…」
今のパンネロにはどうしても理解出来そうにない。
(だって、ヴァンが見ててくれないんだもの…)
ここに至って、パンネロも漸く気が付いた。
(私…ヴァンが居ないと何も出来ないんだ…)
それでも幕は開くのだ。パンネロは深呼吸をすると、舞台に足を踏み出した。
**************
話は少し戻って。
劇場の入り口にはチョコボに引かれた豪奢な車が次々と停まっていた。
ダルマスカの著名人や政界の有力者が次々と車から降り立ち、 その様子を見物に来た民衆に手を振って応えている。
その中でひと際大きな歓声に迎えられたのは女王、アーシェと アルケイディアの新皇帝、ラーサーの乗った車だった。
新皇帝はダルマスカの民衆に概ね好意的に迎えられていた。
それというのも、この新皇帝が摂ったナブディスとダルマスカに 償う事を前面に押し出した平和的な政策と、復讐心を捨て、 共に手を取り未来に向かって歩こうというアーシェの訴えのお陰である。
しかし、憎しみの火が完全に消えたわけではない。
中には二人の政策を良く思わない輩も居る。
特にダルマスカの騎士や貴族の中には依然、アルケィディアを敵視し、 二人の君主の志に反する運動を密かに行っている者達も存在した。
しかし、ラーサーはそれを知りつつ、敢えて護衛の数を減らし、 付き添うジャッジ達もいかめしい鎧姿ではなく、礼服にあらためさせた。
その事に感謝し、また心配をするアーシェにラーサーは、
「私は陛下と、陛下の国民を信頼しています。」
と、笑って答えたのだった。
ラーサーは街中の民衆の一人一人に応えるかの様に手を振り、 憎しみの視線を送る者には丁寧に会釈をし… と細やかな心配りを見せる。
「ダルマスカの街は本当に美しいですね。」
人混みが途切れた隙にラーサーは正面に座るアーシェに微笑みかける。
「それに侵略国家だったアルケイディアの皇帝にも 歓迎の意を示してくれます。大らかで、心の広いお国柄なんですね。」
「ありがとうございます。」
アーシェが礼を言うと、ラーサーはうれしそうに尚も続ける。
「でも、こうして街の中を見ていると、そこからヴァンさんやパンネロさんが出て来そうな気がします。」
ラーサーのたっての願いで、車の中に居るのはアーシェとラーサー、 そしてジャッジ・ガブラスの3人だけだった。
誰にも聞かれないだろうという安心感からそんな事を言い出したのだろう。
「パンネロさんは時々手紙をくれます。でも、返事を書いても届けるのが難しくて。」
「私も同じです。戴冠式まではよく顔を見せてくれたのですが、今は…」
かつて共に旅をした仲間だったが、今では立場が違う。
空賊志願の少年少女が気安く一国の君主に会う事は難しい。
ラーサーは分かります、と大きく頷き、
「私も同じです。陛下の戴冠式でお会いしたのが最後です。あの時、パンネロさんは正装でとても美しくおなりでした…」
最後の言葉はうっとりとした表情で、アーシェは少し面食らって ラーサーの隣に座るジャッジ・ガブラスの表情を見る。
と、かつてはアーシェの臣下だったこの男が 小さくため息を吐いたのをアーシェは見逃さなかった。
徹底した帝王学と英才教育の為か、年齢の割には大人びている… というより老成していると言った方がしっくり来るようなラーサーだが、 夢見がちな部分はまだまだ健在らしい。
アーシェと目が合ったジャッジ・ガブラスが困った様な、それでいてどこかうれしそうな表情を見せたのに、 アーシェは危うく吹き出しそうになった。
「そのご様子だと、ジャッジ・ガブラスに随分ご苦労をお掛けの様ですね。」
ラーサーは悪びれる様子もなく、少しはにかんだ表情をし、
「陛下の仰る通りですよ。手紙の返事を偽装して 投函してくれるのはジャッジ・ガブラスです。」
「これが元老院や議会に知れたらと思うと、どんな強敵よりも恐ろしく思います。」
それを聞いて遂にアーシェが笑い出し、ラーサーがそれに続き、車内は和やかな空気が流れてた。
車はやがて劇場に到着し、正面玄関に横付けされた。
まずはラーサーがアーシェの手を取って車から降り、それにアーシェ、ガブラスが続く。
大歓声の中、ガブラス―バッシュ―は抜かりなく周囲を見回した。
かつての汚名を着せられたままのダルマスカでイヴァリースの平和の象徴である 二人の護衛の任に就く事は彼自身にとって名誉な事だった。
(誰も知らなくとも構わん…このお二人こそ私が守るべき方々だ。)
そしてそれは亡き弟…ガブラス本人との違える事の出来ない約束でもある。
(平和な歓迎ムードでも、気を抜いてはならない…)
無事に二人が中に入ったのを確認すると、バッシュはその後に続いた。
二人は先に到着していた砂漠の国王と、その婚約者に挨拶をし、 少し歓談してからそれぞれ仕切られたボックス席に着いた。
アーシェとラーサーは同じボックスだ。
ここに居るのもアーシェ、ラーサー、バッシュの3人だけなので 2人は存分に思い出話や他愛のない話を楽しむ事が出来た。
やがて、舞台に盛装したダンチョーが立ち、 両陛下をお迎えして云々の挨拶の言葉を告げると、 静かに前奏曲が流れ出し、場内が暗くなった。
ドラクゥ役の歌手が舞台の中央に立ち、客席から拍手が起こる。
そこで故郷に居るマリアを想い、その独唱から始まる。
最初の間奏でパンネロ演じるマリアがしずしずと登場し、ドラクゥの隣に立つ。
いつもならここで拍手が起こるのだが、今日は違っていた。
マリアに似せているが、マリアではない。
観客はすぐにその事に気が付いた。
そしてその動揺は瞬く間に場内に広がり、もちろん、貴賓席にもそれはすぐに伝わった。
「パンネロさん!?」
ラーサーは思わず立ち上がり、最初はまさかと笑っていたアーシェも目を見張って舞台を見下ろして固まり、バッシュも二人の背後から身を乗り出す様にして舞台に見入る。
(やだ…やっぱりバレてるんだ…)
舞台の上のパンネロは今すぐにでもこの場から逃げ出したいと思うが、
(でも…約束したもの。)
もう幕は開いたのだ。ショーは続けなければならない。

1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22