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日が暮れかけた頃、バルフレアは約束通りパンネロを連れ出した。幅が広くゆったりとした流れの運河を横に眺めながら、目当てのレストランに向かってゆっくりと歩いてく。オレンジ色の街頭の光が水面に反射してキラキラと輝いている。
ここは帝都の観光地になっているようで、夕暮れ時でも人通りが多い。観光客目当てのみやげ物屋が何件か並んでいて、パンネロは珍しそうに店の中を覗き込んだりしている。
バルフレアのリクエスト通り、パンネロは昼間着ていた背中が大きくV字に開いたスモッグ型のブラウスに、ベージュのバルーンパンツ、足元には赤いエナメルのコルクソールのサンダルを履いていた。オーソドックスなコーディネートだが、バルフレアが気に入っているのには理由がある。背中に開いたV字の襟は本来なら正面にくるデザインなのを、パンネロが敢えて前後を逆に着ているところだ。正直、パンネロがそのブラウスを手に取ったときは、ありふれたデザインだな、くらいに思っていたのだが、試着室から出てきた時に、
「ね、こうやって着たらかわいいでしょ?」
と、うれしそうに背中を見せてきた時のパンネロが、それはもう可愛らしかったのだ。パンネロの服の着回しは独特だ。思いもがけない色を組み合わせたり、アクセサリーをいくつも重ねて付けたりしてバルフレアが思いつきもしない着こなしをして見せる。それらはどれもパンネロにとてもよく似合っていたし、型にとらわれない自由な楽しみ方をするのがパンネロらしくて、バルフレアはそれが自分のことのように誇らしくもあるのだ。服だけではない、日常の生活から、それこそ戦いの中ですらそうだったとバルフレアは思い出す。何でも楽しもうとするパンネロの姿勢は、1人の女性に縛られることを恐れていたバルフレアの日常をも生き生きとしたものに変えてくれたのだ。
(なのになんで、夜のことになるとなんで保守的になるんだ……?)
誓って言うが、パンネロに何の不満もない。飽きることもない。まだ幼いからか、セックスに対して恥じらったり、潔癖になったりするのも理解しているつもりだし、逆にそこが初々しくもあり、たまらなくバルフレアを奮い立たせるのだ。
だが、と、バルフレアの思考はまたスタート地点に戻る。それでも、時おり焦がれたかのように、何もかも振り払って性愛に没頭するパンネロが見たいと思うのはなぜだろう、みやげ物の中にラーサーのミニチュアの肖像画を見つけて大喜びしているパンネロを見ながらそんなことを考える。今日届いた飛空石で作った試作品、あれを使えば……
「バルフレア、ね、お店、ここじゃないの?」
物思いに耽っていたところで、パンネロの声で我に返った。見ると、パンネロが指差した先に目当てのレストランがあった。
「ああ、よくわかったな。」
「テラス席があるところって言ってたでしょ?」
パンネロが言ったとおり、運河に面してテラスがあり、そこからは街灯に照らされた古い建物が運河に写るのが見える。
「バルフレア、ぼんやりしてたもの。あ、飛空石が届いてたでしょ?それで何を作ろうか、考えてたんでしょ?」
なんて勘の鋭さだとバルフレアは舌を巻いた。試作品はとっくに出来上がっていた。それを使えば、と考えていたところにパンネロの言葉だ。
「さぁな、出来たらお披露目するさ。」
いや、しない方がいいだろう、バルフレアは心にそう決めた。端的に言うと、試作品は夜のおもちゃ的なものだ。細かな振動で性器を刺激する。だが、そんな物をパンネロに使ったら、
(今朝の二の舞いだ…)
それに、矛盾するようだが、やはりパンネロにはそのままでいて欲しいと言うか…
(何を考えてるんだ、俺は……)
答えの出ない思考のループにいい加減うんざりして、バルフレアは頭を軽く振ってその考えを追い出した。
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バルフレアが注文した料理は野菜をふんだんに使ったキッシュや香味野菜で香り付けした肉の燻製など、どれもワインによく合った。パンネロはそれらをナイフとフォークを操り、お行儀よく食べる。かと思うと、チーズをひょい、と指先で摘んで口の中に放り込んだり。口の中で味わい、それが好みの味だと「おいしいね!」と、うれしそうに笑いかける。
「バルフレア、ちゃんと食べないと!」
と、バルフレアがあまり好きでない野菜は控えめにして料理を取り分けてくれる。そして次は夜景がきれいだとか、レストランの内装が落ち着いていて素敵とか。バルフレアはパンネロの隣で肘をついて、その様子を目を細めて眺める。
「そんなに喜んでもらえると、連れて来た甲斐があるってもんだ。」
「だって…バルフレアとお食事って、とても久しぶりな気がするんだもの。」
3日間留守にし、おまけに朝食も別だったことをバルフレアは思い出した。寂しい思いをさせたのと、パンネロの小さな頭に手のひらを置き、ぽんぽん、と優しく撫でてやる。よく食べるのは、留守番の間はあまり食べてなかったのかもしれない。
食事を終え、帰宅後はパンネロはバルフレアに頼まれていたデザートをちゃんと作っており(さすがに飲みすぎて失態を犯したあとなのでリキュールは控えめでちゃんとシトラスの味がしていた)それを2人で食べた。パンネロは終始楽しそうだった。パンネロに知られると怒らせること間違いなしな発明品のことが後ろめたかったバルフレアだが、それを気取られることなく1日を終え、ホッと胸をなで下ろした。
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そのまま一日が終わるはずだった。さすがに昨夜、羽目をはずし過ぎたばかりだ。今夜は早めにベッドに入り、
(大人しく寝る方が無難だろう……)
そう思っていたのだが、パンネロの様子がおかしい。おやすみのキスをして腕枕をしてやり、そのまま髪を撫でながら眠りにつくつもりだった。が、パンネロは半身を起こし、バルフレアの体の上に自分の体を重ね、唇を合わせてきたのだ。
「おやすみのキスが足りなかったかな?」
唇が離れたとき、バルフレアがそう言うと、パンネロは困ったように首を傾げ、これ以上バルフレアに何も言わせまいとするかのように再び唇を塞いでくる。唇を強く押し付けるが、バルフレアがなかなか受け入れてくれないのに焦れて、角度を変えて何度も口付ける。寝るときは解かれるパンネロの髪がさらさらと顔の上に落ちてきてバルフレアの顔をくすぐった。パンネロはそれを耳にかけ、一心にバルフレアに口づけてくる。
バルフレアはすぐにピンときた。
「パンネロ。」
拒んだとは思われないよう、できるだけ優しく呼びかけると、パンネロは漸くキスを止めた。
「……今日は……しないの?」
不安げに小首を傾げて聞いてくるのに、やはり、とバルフレアは口元を緩めた。気に入っていたのに、「肌が透けて恥ずかしい」と言って、ほとんど着ることがなかったシルクシフォンのベージュのキャミソールとフレアパンツのパジャマを着ているのも、誘っているつもりらしい。
「どうして無理をする?」
図星だったのか、きゅっと唇を噛んで黙り込んだパンネロの頭を優しく引き寄せた。しゅん、としている雰囲気が伝わってくる。今日の楽しそうな様子は、自分の失態をなんとかリカバリしようと無理をしていたようだ。
パンネロはバルフレアの質問になかなか答えようとはせず、黙ったままだ。パンネロの気持ちを察して答えを導き出してやることもできるが、そうすべきではない。バルフレアはパンネロが自分の言葉で思っていることを話すのを、自分が骨になって化石になるまでだって待とうと決めている。パンネロは相手を思いやるあまり、自分の気持を封じ込めることがあるのをよく知っているからだ。
「……バルフレア……?」
消え入りそうな声で呼ばれた。私が話すのをまだ待っていてくれる?と確かめるかのようだ。
「うん…?」
「あの…ね、私……思ったの。バルフレアが言ったみたいに……もっと…昨日の、夜みたいに……私……」
たどたどしい話し方だが、パンネロが何を言おうとするかは察することができた。それから言葉を探しているのか、また口ごもる。
「“昨日の夜みたいに”……なんだ?」
バルフレアはパンネロが話しやすいようにと落ち着いた声で続きを促す。
「あの…あのね、昨日の夜みたいな…あんな感じがいいの?その…いつもと違う……」
やはり気にしていたのはそこかと思う。
いつものパンネロならばこんなことを言い出したりはしない。芯の通ったしなやかさとでも言うのだろうか、荒っぽい世界で生きてきたバルフレアを手の上で転がすのもお手の物だ。だが、こんな風に不安がるのは「いつもと違うこと」がパンネロのコンプレックスを刺激したときだ。色恋がらみや性経験の差、身なりや仕草が洗練されていることなど、バルフレアにとっては済んでしまったことや当たり前のことが、パンネロにとっては重大な問題で気後れの原因になる。
それはバルフレアはもちろん、パンネロ自身にもどうすることもできないことなのだ。だが、バルフレアにだってパンネロに引け目はある。心の清廉さ、しなやかさだ。それらが眩しすぎて、自分はそれを手にするに値する男なのだろかと思うのだ。でも、それで良いとバルフレアは思っている。そんなコンプレックスがあるからこそ、互いにいつまでも変わらず求め合って、好きでいられるのだ。
「でも…私は、恥ずかしいなって思っちゃうの。……でも、バルフレアは…あんな感じが好き、なんだよね?やっぱり…子供っぽいかな、私……」
「たしかに、大胆で、蠱惑的で、かわいくって、いやらしくって、最高だったな。」
言ってからパンネロの瞳を覗き込み、にやりと笑って見せる。途端に顔を真赤にしてバルフレアの腕の中で暴れるパンネロを、強く抱きしめてやる。
「だからって、いつものパンネロが物足りないなんてこれっぽっちも思ってやいないさ。」
パンネロは暴れるのをやめ、おずおずと顔を上げる。本当?と瞳で尋ねてくる。
「俺がパンネロに嘘を吐いたことがあるか?」
「違法な飛空石を買おうとしたとき。」
「……あれは別だ。」
「1人で新型の飛空艇の試乗に行こうとしたとき。」
「パンネロは本当になんでもよく覚えているな。」
ペースを狂わされて、しかも痛いところをつかれて動揺してしまう。だが、パンネロがこんな風に言い返してくるということは、バルフレアの言葉に不信感を抱いているということだ。口先だけでパンネロの機嫌をなおすのが目的ではない。そのまんまのパンネロのことをどれだけ愛おしく感じているかを伝え、理解させなければパンネロが閉じこもっている殻を割ることはできない。バルフレアはパンネロを抱いたまま体を起こし、訝しげな表情のパンネロを顔を覗き込む。きゅっと眉を寄せ、唇を尖らせている。パンネロはバルフレアは、というか男は皆、肉感的な女性を好むと思っているふしがある。何度も言い聞かせていてもパンネロがその考えを撤回しないのは、大人の女性への憧れが根っこにあるからだろう。
バルフレアはふと思い立ち、ベッドから下り、パンネロのドレッサーから銀でできた手鏡を持ってきた。これは珍しくパンネロがバルフレアにねだったもので、蔦の葉をモチーフにした曲線的で優美なデザインのものだ。どうしてこれを?と瞳で聞いてくるパンネロに手渡し、自分の顔を映させる。眉間にしわを寄せている自分の顔に、小さく「やだ。」と呟いて、困ったように小首をかしげる。バルフレアはパンネロを引き寄せ、鏡を持つ小さな手を自分の手で支えてやり、もう一度顔を映す。バルフレアの意図を探ろうと、パンネロはじっと鏡の中の自分の顔を見つめる。眉と眉の間に作られた筋目はなんとか消したのだが、どんな顔をすればいいのかわからない。
(いつも…笑っててくれってことかな……?)
そんな風に考えて、ぎこちなく笑ってみたり。
「わからないわ。ねぇ、バルフレア、どうして?」
パンネロはとうとう降参してバルフレアに問いかける。
「俺が誰よりも愛しているのは鏡の中の女の子だってわかってもらうためさ。」
バルフレアの言葉に、パンネロはみるみるうちに顔を赤くする。ほっそりとした首から肩まで、きれいな桜色に染まる。照れてしまい、鏡を伏せようとするのを制し、パンネロと一緒に鏡を見ながらバルフレアは言葉を続ける。
「イヴァリース中を探したって、こんなかわいい女の子は他に居ない。そうだろ?」
「そんな……」
「大人っぽいとか、胸がデカいとか、俺のパンネロにそんなものは必要ないのさ。」
パンネロはわからない、と首を横に振る。
「歌と踊りがうまくて、たまに料理で失敗して、いつも俺が居心地が良いようにしてくれて、行儀がいいのに、わざとブラウスを逆さに着たり、チーズを指で摘んで食べたり。」
パンネロの口元が緩み、ブラウスやチーズの話ではようやく笑みが戻った。
「そんな女の子はパンネロだけだ。俺が大切に想っているのは、世界中にたった1人しかいない、そのまんまのパンネロってことさ。」
バルフレアの言葉にパンネロにようやく安堵の表情が浮かんだ。が、フッと真顔に戻ると、
「でも…でもね、昨日の、アレは違うの…あんなの……」
「パンネロ。」
バルフレアは手鏡をベッドサイドテーブルに置くと、パンネロを膝の上に抱え直す。
「あれもパンネロ、だろ?」
「でも……」
「空っぽなパンネロから、あんな魅力的なパンネロが出て来るわけがない。」
「魅力的って……はしたないし……それに……」
これだけはどうしても納得できない、とパンネロはまた表情を曇らせてしまう。
「いいか?シュトラールで飛んでいる。天気もいい、景色もいい。最高だ。だが、いつもの風景さ。昨日のパンネロは、運良くそこに出ていた虹みたいなもんだ。きれいだが、いつだって見られるもんじゃない。」
「なに、それ……」
パンネロがくすくすと笑う。
「パンネロ、お前が嫌がるなら、羽目をはずしそうになったら今度はちゃんと止める。だから…」
何を言われるんだろう?とパンネロは少し緊張する。
「あんなのに魅力的なお前を、自分じゃないなんて言い方は止してくれ。俺はどんなパンネロだって好きだ、愛している。」
きっぱりと言い切るバルフレアに、うれしさと愛おしさで胸がいっぱいになり、パンネロは思わずバルフレアにしがみついた。
「……本当に?」
「本当さ。」
根気よく言い聞かせたことがやっと伝わったことがうれしくて、バルフレアもパンネロをしっかりと抱きしめた。
「ねぇ、バルフレア…」
「んん?」
「……誰かを好きになるまで、私、私と誰かを比べたことなんてなかった…ううん、お父さんやお母さんが元気な子を見ると、いいなって思ったけど…こんな風に…ヤキモチ妬いたり、不安になったりって……」
恋愛やそれにまつわる気持ちの揺れに、パンネロはまだこんなにも無垢なのかとバルフレアはますます愛おしく思えて仕方がない。うっとりと自分の胸に顔を埋めているパンネロの顔を上げさせると、ゆっくりと唇を寄せた。
「バルフレア……?」
お互いの息が唇をくすぐるほど近づいたとき、パンネロが小さな声でバルフレアを呼んだのは、細められた瞳が愛情だけでなく、何かの思惑をはらんでいるように光ったからだ。バルフレアは返事をせず、ふっくらとしたパンネロの唇に自分のを押し当てた。そのまま体ごと押し付けられ、ゆっくりと横たえられた。
「……今日はしないんじゃないの?」
唇が離れたとき、そっと尋ねてみる。バルフレアは返事をせず、ただ微笑むだけだ。その眼差しはとても甘い。見つめられただけで体の自由が全て奪われたかのようで、パンネロは何も言えなくなり、再び重ねられた唇を大人しく受け入れた。柔らかくて熱い舌がそっと唇をくすぐってくる。パンネロは誘われるまま舌を絡めた。