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いつの間にベッドに戻ったのか。
目を覚ますと、随分と陽が高くなっていた。最初に目を覚ましたのはバルフレアだった。昨夜ははしゃぎすぎたか、さすがに体が重い。だが、心地よい疲労感だった。傍らに体を丸くし、自分に寄り添う幼妻を見る。柔らかい前髪が片側に流れ、形のよい額が露わになっている。まぶたは夢見るように閉じられ、長いまつ毛が窓からの光をはらんできらきらと光る。ふっくらとした唇が、バルフレアがさんざん口づけ、嬲ったせいでいつもより赤みが濃いことを除けば、昨夜の痴態が信じられないほどあどけない寝顔だ。
なんてかわいらしいんだろうと、その柔らかそうな頬に口づけようとして、バルフレアはギクリと動きを止めた。
パンネロはセックスを楽しむことを自制しがちである。お互いの愛情を確かめるためで、楽しんで快楽を追うというスタンスに抵抗を感じるようだ。10代の少女らしい潔癖さか、恥じらいかもしれない。だがそれに物足りなさを感じたことがない。ろくでなしの人でなしと言われようと、抵抗を感じつつも、快楽に翻弄されるパンネロは、男としての本能をどうしようもなく掻き立てるのだ。我を忘れて性の歓びにふけったその次の朝、ものすごく恥ずかしがるのも初々しくてかわいい。
昨夜のキッチンでのセックスは思う存分歓びを分かち合い、悦楽を貪りあった。が、良く言えば真面目、悪く言えばお堅いパンネロがそのことを思い出したりしたら、
(……やばい。)
昨夜の羽目の外し方はかつてないほどのもので、ましてやそれをキッチンで、しかもカウンターの上でとなると、恥ずかしがるどころではないことは容易に想像できた。「バルフレアのばか!」「きらい!」など、バルフレアに大ダメージを与える禁断ワードが出るかもしれない。
(確実に俺の寿命が縮むな……)
アルテマだって、ホーリーだって、パンネロのためなら耐えられるが、「きらい」はダメだ。元最速の空賊にして現イヴァリース最高峰の機工師バルフレア様だが、愛妻の「バルフレアのばか(涙目)」に対しては、情けないことに鼻の奥がツンとなって、瞳の表面をうっすらと涙が覆うのだ。
バルフレアはドクンドクンと大きな音を立てて鳴る心臓の上に手を置き、落ち着け、と自分に言い聞かせる。パンネロを起こさないようにそっとベッドから抜け出し、ローブを羽織る。音を立てないように扉を開けてキッチンに向かい、思う存分楽しんだあとを片付け始めた。昨夜のパンネロはかなり酔っていた。うまくいけばごまかせるかもしれない。
だが、洗ったワイングラスを棚に戻したところで半分諦めの気持ちも湧いてくる。パンネロは賢く、なんにでもよく気が付く。こんな小手先が通じるとは思えない。
(その時は、その時だな……)
せめてもの救いはパンネロから誘ってきて、自分には非がないことだ。そして、その発端も“いっけない!オーブン!!”だったわけで。だが、逆にそのせいでパンネロが自分を責めるのではないかと心配になったりもして。
「……なるようにしか、ならない、か。」
バルフレアは食器棚の戸を閉め、ため息を吐いた。そうして、パンネロより早く目が覚め、ここを掃除できて良かったと心から思った。パンネロへの対応を考える時間ができたし、なによりも、生々しい痕跡がそこかしこに残ったキッチンをパンネロに片付けさせなくて済んだからだ。
パンネロとのセックスを楽しむのは不真面目な気持ちではない。本能の、もっとも深いところで全てをあばき、知り、そして1つになりたいという渇望なのだが、どうすればそれが伝えられるだろうか。
(いや……)
そんな風にバルフレアが思っていると知ったら、パンネロが怖がるだろうと、バルフレアは首を振る。とにかく、嵐は避けようがないのだ。できることは、時間と共にそれが去るのをおとなし待つだけだ。
カウンターの下に、昨夜パンネロが着ていたバルフレアのセーターがくしゃくしゃに丸まったまま落ちていた。バルフレアはそれを拾い上げ、ミネラルウォーターのボトルを手に持つと、足取り重く寝室への階段を上っていった。
扉を開けると、パンネロは起きていた。シーツで胸元を隠し、ベッドの上に座っている。こめかみの辺りを手で押さえてるのは、
(二日酔いだな……)
バルフレアはセーターをベッドのそばにある1人がけのソファに放り投げ、静かにパンネロの隣に腰かけた。パンネロはすぐにバルフレアにもたれかかってきた。バルフレアが水の入ったボトルの栓を抜き手渡してやると、ひと息に、かなりの量を飲んだ。
「……なんだか、頭が痛いの。」
バルフレアは少しでも痛みが和らげばと頭を優しく撫でてやる。
「風邪かなあ?」
パンネロは手に持ったボトルをバルフレアに返し、バルフレアはそれをベッドサイドテーブルに置き、ぐったりとしたか細い体を抱き寄せた。
「ね、バルフレア…いつ帰ったの?」
やはり酔っていたせいで記憶が曖昧なようだ。今帰ったところだ、と言いそうになったが、
「昨日の夜だ。遅くに帰って来ただろ?」
「うぅん……そう、だっけ……?」
パンネロはしばらくの間、何も話さずにバルフレアにしがみついていた。やはり、心のどこかで思い出して欲しくないと思っているバルフレア、敢えて思い出させるようなことは言わないでおく。
「お水……ちょうだい……」
頼まれてバルフレアは水を取ってやる。バルフレアの体が離れたので、パンネロは昨夜のことを思い出す手がかりはないかと寝室の中を見渡す。と、ベッドのそばにある1人がけのソファの上に置かれたバルフレアのセーターが目にとまった。しまった、と思った時にはもう遅かった。ぼんやりとそれを見つめていたパンネロだが、徐々に目に光が戻り、と同時に顔が真っ赤になった。オロオロと部屋を見渡し、最後にバルフレアと目が合うと、
「やっ!!!」
と叫んで、パンネロはシーツを頭から被ってしまう。ああ、やっぱり、とバルフレアは思わず手のひらで顔を覆った。
「パンネロ……」
「やっ!!知らない!!」
「聞くんだ、パンネロ……」
「やだやだ!もう……っ!信じられない、私……」
いや、すごく色っぽくてかわいかったし最高だったと言おうとして、バルフレア思いとどまる。
(火に油だ……)
かける言葉を思いつかず、シーツの中で、昨夜のことを思い出したのかきゃーきゃーとやかましいパンネロを見つめるしかない。不意にパンネロがシーツから顔を出した。キッとバルフレアを睨む。そのキツい視線だけで、情けないことにバルフレアは思わず後ずさってしまう。
「もう!どうして止めてくれないの…!」
どうやら自分から誘ったことは覚えているらしい。
「お台所で……しかも、カウンターの上で……もう、信じられない!!」
「その辺は心配しなくていい。」
「……どうして?」
恥ずかしい思いを和らげる何かを言ってくれるのだろうか?と、縋るような瞳で見つめてくるパンネロを、バルフレアは愛情を込めて見つめ返し、
「カウンターの上でも、お前の体にアザひとつつけてない。」
途端に枕が飛んで来て、ばふっと間の抜けた音と共にバルフレアの視界を塞いだ。
「ばかばか!そういうことじゃないでしょ!もう、知らない!」
そう叫んで、パンネロは再びシーツを頭から被ってしまったのだった。
「……パンネロ」
声をかけても、パンネロは激しく首をいやいやと横に振る。バルフレアはパンネロに聞こえないように小さくため息を吐くと、シーツの中のパンネロの、ちょうどつむじの辺りにそっと口づけて、
「今日は1日工房に居る。頭が痛いならゆっくり休んでるんだ。」
そう声をかけても返事もしないパンネロの頭を優しくぽんぽん、と叩くと、着替えて寝室を後にした。
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とにかく、嵐が去るまでそっとしておくしかない、工房の作業台に足を投げ出して座り、バルフレアはそう言い聞かせる。
(落ち着いた頃には、パンネロの方から謝ってくるだろ……)
自分から誘ったのを覚えているなら話は早い。それに、心の準備をしていたおかげでダメージはそんなにはない。昨夜とのギャップがパンネロらしくもあり、また、ここまで体を重ねているのに、いつまでも頑固にその壁を守り続けるのだろうと不思議にも思う。
あまり気にしていないといいのだが、とそんな心配をしつつ、昨夜のパンネロの愛らしさを何度も思い出す。コケティッシュになっても、話し方や甘えん坊な所はそのままなんて最高過ぎるとかなんとか。甘え、ねだり、奮い立たせ、時には煽りと、完全に男を手玉に取る悪女の手管だ。それでいて「大好き」とか、言葉遣いが幼いのがまたたまらない。
そんなことを思い出すと、口元が緩んでくる。
(上手にできなかったって、かわい過ぎんだろ……)
思い出し笑いのついでに、腕を組んで椅子に深くもたれかかった所で、足のつま先に何かが当たった。見ると、タバコケースくらいの小さな包みだった。
(そう言えば、出かける前に注文したか……)
珍しい飛空石が売りに出され、サンプルを取り寄せたのだ。実際に何に使うかは見て考えようと、ロクに仕様書も読まずに頼んだのだ。おそらくパンネロが代わりに受け取ってくれて、ここに置いておいてくれたのだろう。バルフレアはなんの気なしに包みをほどき、中の箱を取り出した。綿を敷き詰めた箱の中にはバルフレアの人差し指の先くらいの飛空石のかけらが入っていた。さてどんな石だったかと、手の上でためつすがめつしていると、突然バルフレアの手のひらでブルブルと細かく振動し始めた。
バルフレアは少し驚き、一緒に入っていた仕様書を慌てて取り出した。
「熱に…反応する……」
バルフレアはまじまじとその石を見つめた。熱が高ければ高いほど強いエネルギーを生み、より激しく振動するらしい。すぐさま、頭の中にとあるアイディアが浮かんだ。このサイズ、この振動。
その時、聞こえるか聞こえないほどのノックの音が聞こえた。
バルフレアは慌てて飛空石を引き出しに放り込むと、扉に飛びつくようにして開いた。思った通り、そこにはパンネロが立っていた。ベージュ色のマントを羽織り、その中には白いスモッグ型のブラウスと、ギャザーがたっぷり寄せられた、丸く膨らんだシルエットの短い丈のパンツを履いている。腕にはバスケットを下げていた。
中から声がかかるのを待っていたのだろう、突然開いたドアの驚いて体をすくめた。何かを言おうとバルフレアの顔を見て、すぐに目を伏せてしまうので、パンネロの体を抱えるようにして中に招き入れた。バスケットはすぐさま作業台の上に置いき、パンネロを引き寄せた。ちらりとバスケットの中を見ると、朝食も食べずに出て行ったバルフレアのためにサンドイッチと、ほうろうのポットが入っていた。
「バルフレア、あの…あのね、私……」
「謝るのはナシだ。」
バルフレアはパンネロの両肩に手を置いて、心配そうなその顔を覗き込んだ。
「でも……言わせて欲しいの。だって、私ったら……」
「それより、この服のときの靴は、この前買ったエナメルのサンダルって決めてただろ?」
「うん……」
この服を買った時に合わせて買ったサンダルの事をバルフレアは言っているのだ。コルクのソールに赤いエナメルの、ヒールが12センチほどあるものだが、パンネロはそれをなんなく履いてしまう。その組み合わせを2人で気に入っていたのに、パンネロは黒いフラットシューズを履いている。
「それに、このマントはなんだ?せっかくの背中のデザインが見えないだろ?」
ブラウスだって、背中が大きくV字に開いていて、Vの時の先には共布の大きなリボンが付いているのだが、マントで隠れてしまっている。
「だって……これは……」
「俺を喜ばせようと思ってた着て来たんだろ?だけど、はしゃいでるみたいに見えないようにって遠慮した。そんなところだな。」
図星なのか、パンネロが俯いた。
「そんなことしなくても、お前が悪いことをしたって思ってくれているのは、ちゃあんとわかってるさ。」
「うん…でもね、お願い、言わせて欲しいのの。」
「お聞きしましょう?」
恭しく胸に手を当てて頭を下げるバルフレアに、パンネロはやっと笑顔に戻り、バルフレアの首に跳ねるようにしてしがみついた。
「……ごめんね。」
「気にしてない。」
「うん……」
「恥ずかしがるのも、恥ずかしがってシーツ被っちまうのも、俺にはかわいすぎるんだよ。」
「……でも、子供っぽいよ……」
「それでいい。いつも言ってるのだろ?俺はそのままのパンネロがいいんだ。」
抱きしめたパンネロが、安心したのか、ほう、と小さく息を吐いたのがわかった。
「本当に?怒ってない?」
「怒ってなんかいないって、さっきから何回も言ってるだろ?」
こういう時は、それこそ子どもをあやすようだ。パンネロの顔を覗き込み、頭を撫で、根気強く何度も怒っていないと伝える。パンネロはそれで漸く安心する。
「夕方には帰る。それまで着替えずに待ってるんだ。それを着て食事に行こう。運河のほうに、うまそうなレストランがあった。ちゃんと靴も履き替えて、野暮なマントはナシだ。」
「本当?でも……今夜は、私、お詫びにご馳走作りたいって思ってたのに。」
バルフレアの心臓がきゅう、と萎んだ。だが、パンネロが言い出すより先にこちらから誘っていたのはアドバンテージだ、と慌てて言葉を続ける。
「そ、そうだな…だったら、この前作ってくれた氷菓子があっただろ?あれはうまかった。また作ってくれ。デザートはお前が作ってくれたのを家で一緒に食べよう。」
バルフレアが言っているのは、前にパンネロが作ったシトラスのシャーベットのことだ。
「本当?じゃあ、そうするね!」
バルフレアはホッと胸を撫で下ろす。パンネロの料理は最近ではだいぶマシにはなってきているが、イベントやこんな風に張り切ると、その張り切り度合いに比例してものすごい物が出てくるのだ。そのシャーベットにしたって、
「甘いものが苦手なバルフレアのために」
と、張り切って、
「バルフレア、お酒が好きだから!」
とリキュールをこれでもかと混ぜ込んだ結果、
(シトラスどころか酒の味しかしなかったんだがな……)
バルフレアは安心させるためにパンネロの頬にキスをして帰る時間を伝えると、来たときとは裏腹に、パンネロはうれしそうに帰って行った。何度も振り返って手を振るのをバルフレアはその姿が見えなくなるまで見送った。
(さて……)
扉を閉めると、バルフレアはさっきの飛空石を放り込んだ引き出しを開けた。