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浴槽の中の雲のようにふわふわと漂っていた泡は、沈黙の間に聞こえるか聞こえないかの小さな音とともにどんどん弾けていった。泡が消えた水面からはティファのしなやかな体が見えた。恥ずかしいのか、腕を胸の前で交差させ、膝をぴったりとくっつけて、胸元に寄せている。だが、腕の間からはぎゅっと寄せられ豊満な胸が艶めかしいし、ぴったりと膝を揃えているせいで体に力が入っているのも、なんだか微笑ましい。自分から一緒に入ろう、と言ったのに、そんな風に体を隠そうとするティファが、クラウドには涙が出るほど愛おしく思える。
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バスルームを作ろうと言い出したのはクラウドだった。もちろん、クラウド達が住むセブンス・ヘブンにバスルームはある。が、トイレと洗面所の角に1メートル四方ほどのタイル張りのスペースがあり、シャワーカーテンで仕切っているだけの味気ないものだ。シャワーも、壁にシャワーヘッドが作りつけてあるだけの簡素だ。カーテンを締めてしまうと薄暗く、ストライフ一家にとって、そこは体の汚れを洗い流す場所でしかなかった。
「配達先の家の中まで荷物を運んだときに、たまたま見たんだ。」
クラウドはそうティファに切り出した。荷物を届けた先でのことだ。屋根の上でペンキ塗りをしていたその家の老主人がペンキの缶を落とした。そこに荷物を届けに来たクラウドの頭の上に、完璧なタイミンぐで落ちたのだ。老主人はひたすら頭を下げて謝り、その夫人は大したことはないと固辞するペンキまみれのクラウドの衣服を剥ぎ取ると、バスルームに蹴り入れたのだった。
気まずい思いをしながら、仕方がないシャワーを借りるかと顔を上げ、クラウドはひと目でそのバスルームに心を奪われた。狭いながらも奥行きがあり、コンパクトながらもすっきりとした、明るいバスルームだった。薄暗いクラウドたちのシャワールーム兼サニタリールームと違い、奥にある大きな窓からは光が差し込み、そのすぐ横に大きなバスタブがある。シャワーヘッドはまるで銀の大皿のように大きく、たっぷりと流れてきた湯が体のすみずみまで行き渡った。
シャワーから出ると、服は全てランドリーに放り込まれていて、クラウドは老主人がが若い頃に着ていたという作業用のつなぎを渡された。テーブルの上には昼食が準備されている。いつもなら断るのだが、バスルームに心を奪われていたクラウドは、ぜひ話を聞きたいと思って同伴させてもらうことにした。渡された作業用のつなぎを見て、あのバスルームは老主人が作ったものではないかと思ったからだ。
クラウドの予想通り、あのバスルームは、と言うより、この家の全てが引退したあと、老主人が余生を送るために作り上げたものだそうだ。バスルームのこだわりは、奥行きをたっぷりとり、その突き当りに大きな窓を作りつけたことで、狭いスペースでもゆったりと感じるようにできているそうだ。そんな話を聞いているうちに、クラウドはなんとかそれを自分でできないかと質問をし、終いにはメモまでとり始めた。すると老主人は、ペンキの詫びにと手伝いを申し出てくれたのだった。
「配管や、水回りは手伝ってくれるそうだ。あとは自分たちてやれば、そんなに金はかからないらしい。それに……」
「なぁに?」
「最初は、戸惑ったんだ。よその家の風呂場なんて、落ち着かないって。でも、明るくて広くてゆったりしていて…風呂っていいものだって思い出した。」
確かに、そんなゆとりは今までなかった、とティファも思う。
「マリンもデンゼルも背が伸びる。あんな薄暗いシャワーじゃかわいそうだ。……ティファも。」
「え?」
照れてしまったクラウドに、思わず笑みがこぼれた。
(クラウド、肝心なことはいつも、一番あとに言う……)
ティファはクラウドの首に腕を回し、その不思議に光る蒼い瞳を見上げる。一緒に暮らすようになってだいぶ経つのに、未だティファが眩しいクラウドは、まともにティファの顔を見ることが出来ず、悩んだ挙句に、キスの代わりに、黙ってティファを抱きしめたのだった。
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作業が始まったのはそれから1週間後だった。クラウドがまとまった休みをとれるようになるのに必要だったのだ。休みに入ると、朝は老主人を迎えに行き、教わりながら1日中作業をする。まず最初に狭いバスルームの壁を壊した。セブンス・ヘブンと家の屋台を壊さないように大きなハンマーで少しずつだ。土台をコンクリートで作り、そこに柱を立て、屋根を乗せる。壁を作る前にバスタブを運び入れた。クラウドが気に入った、皿のように大きなシャワーヘッドでたっぷりと湯を使うために、ボイラーは店で使うのとは別に、もう1台設置した。
この話に子どもたちが喜ばないわけがない。2人とも学校から変えると荷物を放り出し、クラウド達を手伝う。ティファも仕事の合間に昼食を出したり、マリンと一緒に壁に小さなタイルのピースを貼り付けたりと、文字通り、家族全員で協力し、新しいバスルームを作り上げた。
完成には2週間かかったが、出来栄えは大いに満足できるものだった。洗面台は古い物を再利用したのだが、ペンキを塗り直して、引き出しの取っ手はDIYのショップでティファとマリンが見つけてきたアンティークの物をつけた。それだけのことで使い慣れた洗面台が随分と見栄えがよくなった。その上には蓋が鏡になった棚を作り付けた。床と壁は一面淡いエメラルドグリーンの小さなタイルを選んだ。見本を見てひとめ惚れしたのはマリンだ。誰よりも熱心に床に接着剤を塗り、タイルを置いては目地を流し込んでいく気の遠くなるような作業を、熱心に根気強く頑張った。完成するころには陶器の濡れたように光る壁は、彼女の名前の通り、深海のようなグリーンになった。
2週間で完成したのは、子どもたちだけではなく、ご近所さん達も手伝ってくれたからだ。皆、街の復興のために何かしらのスキルを身につけていて、それを惜しまなく提供してくれた。そこで完成したときは、老夫婦と近所の人たちを招いてちょっとしたパーティを開いた。一緒に作業をする内にクラウドはすっかり老主人と打ち解けていて、一緒にジョッキを傾け、時には声を上げて笑うのが聞こえてきた。
「クラウドったら、よっぽどうれしいのね。」
「それはマリンもでしょ?構わないから先に入っちゃいなさい。憧れの、泡のお風呂にするんでしょ?」
「いいの!?」
マリンは顔を輝かせて喜んだが、すぐに真顔になり、
「でも、せっかくクラウドが頑張ったんだから、クラウドが一番がいいんじゃない?」
「いいのよ。まだお客さまがいるし、後片付けも残ってるしね。」
「手伝う。」
「もう遅いから、明日ね。」
そう言われてマリンは少し悩んだが、クラウドが楽しそうに他の客とも話しているのを見て、
「うん、じゃあ、お先にね。」
ティファはマリンと一緒にバスルームに行き、シャワーと水栓の切り替えのコックの使い方を教えてやる。
「あ、ティファ!」
マリンは手に持っていたシャワージェルをティファに渡した。
「一本あげる!」
マリンが買ったシャワージェルは、色違いの小さなボトルが3本入ったものだった。
「いいのよ、私は。」
「せっかくだから、楽しまなきゃ!その方がクラウドが喜ぶと思うな。」
“クラウドが喜ぶ”、と言われると、ティファもそうかな、と思ってしまう。あんなに頑張ってくれたのだ。その風呂で、ティファが普段できないようなことを楽しめば、
(クラウド…喜んでくれるかな……)
思いを巡らせている間に、マリンはティファに赤い色のボトルを持たせていた。
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子どもたちが風呂を済ませる頃には客たちも帰っていて、クラウドとティファは食器を後片付けをしていた。そこに順番に入浴を済ませたマリンとデンゼルがやって来て、いかに広いバスルームが快適だったかをクラウドに報告する。
「カビ臭くなくってね!いい匂いがしたんだ!」
「それ、私のシャワージェルの匂いよ。」
「マリン、バスタブにお湯貯めたの?」
「だって、もうシャワーの途中でお湯がなくなる心配しなくてもいいんだもん。」
「ズルいや。じゃあ、次は僕も!」
バスルームを使った感想を、ああだこうだと言い合う子どもたちの顔を、クラウドは体を屈め、覗き込むようにして話を聞いている。子どもたちと話すときはいつもそうするようになったことに、ティファは気付いていた。クラウドが子どもたちと向き合って、話を聞こうとしているのが分かってティファもうれしい。家のことに気をかけてくれて、家族のためにのこぎりと金槌を振るってくれるのも、本当の家族になろうとしてくれているのだと思うと、心からうれしいし、感謝の気持ちで胸がいっぱいになる。
「クラウドはまだ入らないの?」
「後片付けが終わってからな。」
「じゃあ、俺、手伝う!」
「ダメだ。もう寝る時間だろ?」
こんな風に、クラウドが子どもたちの生活指導をするのも、ティファにはくすぐったく、うれしい。不満気に頬をふくらませるデンゼルに、
「じゃあ、残った皿は、全部デンゼルに洗ってもらうかな。」
デンゼルは他の手伝いは進んでするのだが、皿洗いだけは好きになれないようで、
「あ〜……うん……」
と、途端に歯切れが悪くなる。デンゼルの頭の上にクラウドは手のひらをぽんぽん、と乗せ、
「バスルームがどんなだったかは、明日、な?明日は昼前まで居るから、その時だ。」
「本当!?」
「約束よ?」
「ああ、明日な。」
クラウドにそう言われると、2人はようやく手を取り合って、口々に「おやすみ」と言いながら寝室への階段を上って行った。子供部屋からはしばらくの間、話し声や笑い声が聞こえてきた。クラウドとティファは目を合わせ、苦笑いをして天井を眺めていたが、それもあっという間に途切れ、セブンス・ヘブンの中に静寂が戻った。ティファは洗い物を再開し、クラウドはホールのテーブルや椅子を元通りに並べ直す。
「随分と話が弾んでたみたいね。」
ティファに声をかけられ、クラウドは手を止めてティファの顔を見つめた。そして、それが老主人とのことだと思い当たると、
「いろいろ話してもらったんだ。」
「どんな話?」
「おじさんが、奥さんのためにキッチンやバスルームや…いろいろ、作りなおしたとか、やり過ぎて怒られた話とか。」
「それで笑ってたのね。」
「俺も気をつけないとな。」
クラウドはそう言って笑うと、残った椅子を並べてしまい、カウンターで洗い物をするティファを手伝う。もういいから先に休んで、とティファが言っても絶対に聞かないはわかっているので、ティファは素直に手伝ってもらうことにする。以前はぎこちなかった皿拭きも、今ではお手の物だ。
「マリン、大喜びだったわよ?バスタブを泡だらけにしてたわ。」
「うん。」
「デンゼルも。“クラウドと一緒に入りたかったのに”って。」
「そうか。」
ティファを手を止めず、横に立つクラウドの顔をそっと覗き見た。目が穏やかで、口元が微笑んでいる。泣きたくなるほど幸せな気持ちと、今すぐ魂ですら捧げたくなるほどの感謝の気持ちが同時にこみ上げてきて。なにかを言葉にすると涙がこぼれてしまいそうなので、ティファはそれ以上は何も話さず、黙ってひたすら皿を洗い続けた。洗い終えた皿を水切りカゴに置くとき、たまに手が触れるのだが、それだけで心臓が跳ねた。すぐ隣でクラウドが何事もないような顔で皿を拭いているのが少しうらめしい。
(私だけ、こんなにドキドキして……)
でも、これはすぐに逆転させることができる。ティファはずっと暖めていた、とっておきのアイディアがあるからだ。最後の皿を洗い終えたら、それを切り出そう、ずっとそう思っていたのだ。でも、それを自分から言い出すのが恥ずかしくて、最後の皿を、丁寧に丁寧に洗ってしまう。水栓を閉じて、皿を軽く振ると水滴が舞った。クラウドが手を差し出して、ティファが皿を渡すのを待っているのがわかるが、顔を上げるのが照れくさい。ティファは皿を渡す代わりに、濡れたままの手でクラウドの手をきゅっと掴んだ。そして、驚いているクラウドの顔をそっと覗き見て、
「クラウド……」
さっきから言葉が少ないし、様子が変だとは思っていた。声は震えていて、顔は真っ赤だ。
「ティファ……?」
クラウドは、ティファが持っていた皿を水切りカゴに置くと、濡れたままのティファの手を両手で包んでやる。
「すまない……疲れたか?」
「ううん、そうじゃないの。」
ティファはすぅっと息を吸い込んで、それから、ほんの少しだけ息を止めた。
「……今日は、ありがとう。今日だけじゃなくって……」
クラウドはティファが何を言おうとしているのかわからず、とりあえず頷いて見せる。
「せっかくの、誕生日なのに……お祝いもできなくって。」
「お祝いなら、十分だ。だろ?」
声が優しい。そっと引き寄せられ、抱きしめられた。早く言わないと、そう思うのに、こんな風にいたわってもらって、優しくされたら言い出しにくい。
「ティファも、毎日忙しいのに、ありがとう、な?」
「ううん……あの、あのね、クラウド……」
「せっかく、風呂がきれいになったんだ。先に入って、ゆっくり休んでくれ。」
風呂!その言葉で、ティファの体がびくん、と跳ねた。言うなら今しかない、チャンスだ。
「ね、一緒に入らない?」
