初めての旅行(FF12/R18)

この記事を読むのに必要な時間は約 9 分です。

触れた手を、パンネロは反射的に引っ込めようとした。
しかし、それではバルフレアに失礼ではと沸騰しそうな頭で考え、辛うじて思いとどまった。すぐ傍にバルフレアの息づかいと体温を感じて目眩がする。
こんな時、どうすればいいのだろう。
触れられた手が離れ、大きな手がパンネロの小さな手を包み込んだ。
パンネロが怖々と顔を上げると、バルフレアがじっと見つめている。何もかも見透かされたようで、パンネロはもう居ても立っても居られない。
いっその事バルフレアの胸に飛び込んで、泣いて、喚いたら楽になるのだろうか。
ゆっくりと顔が近付いてくる。
パンネロは目を閉じた。
暖かく、柔らかい物が唇に触れると、何故だかホッとした。
優しく唇を啄まれると、胸は高鳴るけど、慌てふためいたいた気持ちが不思議と静まっていく。
抱きしめて欲しいと、パンネロはバルフレアの首に腕を絡めた。バルフレアはパンネロを立たせると、優しく抱きしめてやる。優しく後頭部を撫でられ、パンネロはうっとりと広い胸に頭を預けた。
「悪かったな。」
何の事だろう、とパンネロはぼんやりと考える。
「さっき、可愛かったから。もう一度見たいと思った。困らせるつもりはなかった。」
パンネロは静かに頭を横に振る。彼らしからぬ真っ直ぐな言葉がくすぐったい。
「いいの。今度ちゃんと音楽がある所で見せてあげる。」
「本当か?」
バルフレアはパンネロの額に唇を落とすと、
「じゃあ、次も俺が勝ったら、何をしてもらうかな?」
不意に身体を離されて、パンネロの胸がまた少しざわついたが、
「次は負けないから。」
と、明るく振るまい、バルフレアの向かいに座り直した。
(でも…)
拾った駒を並べながら、どこか腑に落ちない気持ちをもてあます。
(どうして、聞いてくれないんだろう…?)
促されて、駒を進める。
バルフレアはパンネロの動揺の理由を知っていて、敢えて何も言わないでいるのだろう。だが、これではまるで腫れ物に触れるかのようだ。
ここに来る前、バルフレアは“俺が怖いか”と聞いていた。
(私、怖がってるのかな…)
(私を怖がらせないように、優しくしてくれているのかな…)
ぼんやりと盤を見つめながら、パンネロはとりとめなく考えた。
一方バルフレアも、パンネロの気持ちが痛い程伝わってきて、どうすれば良いのか分からない。ただ、お嬢ちゃんを怯えさせないように優しく、優しく接してやるだけだ。
(一番良いのは、俺と二人きりにならない事か…)
盤を見つめ、次の手を考えている(と、バルフレアには見える)パンネロを見つめる。
パンネロが放つ優しい振動にいつまでも浸っていたい。
このまま雨が止まなければいいと思う。
ふと我に返って、自分が滑稽に思えてきた。
こんな小さな少女相手に何を考えているのだと自嘲し、バルフレアは窓の外を見た。相変わらず雨が降り続いている。
「チェックメイト!」
突然、パンネロが歓声を上げた。
「私の勝ち!」
ぼんやりしていたバルフレア、何が起こったか分からない。盤に目を落とすと、完全に自分が負けている。
「バルフレア、ぼーっとしてたもの。途中でミスしたの、気付かなかったでしょ?」
「参ったな…」
バルフレアはやれやれと肩を竦める。
「で、パンネロは俺に何をさせたいんだ?頼むから、踊りだけは勘弁してくれよ?」
「どうしようかな〜?」
パンネロは楽しそうに笑うと、
「じゃあね、さっきの話の続き、お話しして。」
「さっきの話?」
「トゲトゲのお魚に刺された時の話。」
「はぁ?」
パンネロはテーブルから身を乗り出し、それこそ目をキラキラさせながらバルフレアを見ている。
(なんで女ってのは、こうもつまらない話を聞きたがるのかねぇ…)
「今 “どうしてこんな話を聞きたがるんだ” って思ったでしょ?」
「…まあな。」
「だめよ、バルフレアが負けたんだもの。」
「いや、話すのは構わないさ。言っておくが、大した話じゃないぞ。」
「いいの。そういうお話が聞きたいの。」
分からないかなぁ?と言いながらパンネロはクスクスと笑う。さっきの切羽詰まった時と違って随分リラックスしている。この笑顔のためならば、
(兄達にハメられて代わりに叱られた話だろうが、木にから落ちて骨を折った話だろうが、なんでもしてやるさ。)
バルフレアはやれやれと天井を仰ぎ見、おもむろに口を開いた。
「ガキの頃の話だ。家族で遊びに来てた。珍しい魚が居るからって、岩場で兄貴達と潜って見ていた。右腕の肘の辺りに何かに刺された感じがして…見たらさっきの魚がウロウロしていた。」
「それで?どうなったの?」
「驚いて岸に上がってみたら、見る見る内に腫れ上がって、驚いて親父を呼んだ。」
「痛かった?」
「それよりも、腫れ方がひどかった。腕の太さの倍くらいに腫れ上がった。」
「本当に?」
「本当さ。試しに、刺されてみるか?」
パンネロは慌てて首を横に振る。
「夜に熱が出て、医者が来て、親父とお袋が寝ずの番をして…と、まぁ、大騒ぎだった。結局帰るまで寝込んでたな。」
パンネロは頬杖をついて、時折質問を挟みながらうれしそうにバルフレアの話を聞いている。
「まだ “どうしてこんな話を聞きたがるんだ” って思ってるでしょ?」
「その通りだな。もう勘弁して貰えないか?」
パンネロは“しょうがないなぁ…”と言いつつも、まだ楽しそうだ。
「あのね、小さい時の話を聞くと、安心するの。だって、バルフレアは私が16歳の時に突然目の前に現れた人でしょ?どんな人なのか、私、全然知らないんだもの。だから子供の時の話を聞くと安心するの。バルフレアにもお父さんやお母さんやお兄ちゃんが居るんだ…って。」
「…よく分からないな。」
「いいの。ね、私が勝ったら、もっとお話してくれる?」
「勘弁してくれ…」
「ね!雨が止んでる!」
はしゃぐ声で言われ、外を見ると、確かに雨が止んでいる。これ以上おねだりされては敵わない、とバルフレアは立ち上がると、
「雨が止んでいる内に、飯にしよう。」
空はまだ曇っていて、エメラルドグリーンだった海の色は藍色がかかった鼠色に変わっていた。
それでも「二人きり」から解放され、バルフレアもパンネロもなんだかホッとしてしまい、お互いに気付かれない様に小さく息を吐いた。
バルフレアは先に立ってコテージの階段を下り、後に続くパンネロを振り返った。パンネロはドアを出た所に立ち、じっと海を見ている。鼠色の空は暗い部分がどんどんと広がって来て、夜の訪れをパンネロに知らせている。
ホッとしたのもつかの間、パンネロの胸の中にも、今の空の色の様な不安が広がる。
パンネロの性の知識は断片的な物でしかない。だが、その事が大概夜に行われる事は知っている。
(でも…)
さっき抱きしめられた時、不快な気持ちにはならなかった。むしろ、
(離して欲しくなかった……)
その事に気付いて、パンネロはうろたえてしまう。その先に何があるのかはまだよく分からないけど、それを自分も望んでいるのだろうか?
(だって、だって…あんなこと、バルフレアもするの?)
アーシェ達と旅に出る前、色街でしどけなく抱き合う男女を見た事があった。男の手が女の胸の辺りを這い回り、顔を首筋に埋めていた。パンネロは見てはいけないものを見てしまった気持ちになって、慌ててその場を逃げ出したのだ。
「パンネロ。」
バルフレアに呼ばれて、パンネロは我に返る。
「ご、ごめんなさい…」
慌てて階段を下りて、差し出された手を取った。
「雨期が終わってるはずなのに、変だなって…明日も雨でしょ?」
苦し紛れの言い訳だったが、バルフレアは驚いてパンネロを見る。
「よく分かったな。」
「遠くにまだ雨のカーテンが見えるもの。雲の中に雷が走ってるし。それにこの湿気。」
「目も良い。良いナビゲーターになるな。」
パンネロは曖昧に微笑む。今は褒められた事より大きな手の温もりの方が気になって仕方ないのだ。
「明日はハントにでも行こうかと思っていたが、そうだな…」
(ハントなんか、行きたくない…)
それよりも、バルフレアに触れていたい。ずっと抱きしめていて欲しい。
(でも、そんな事、言えない…)
パンネロの望み通り、明日は雨でずっと二人で過ごせるはずだ。だが、今日の様な緊張がまた続くのかとか、そんな子供みたいな自分にバルフレアは愛想を尽かしたりしないだろうか。
雨で重く湿った砂地の坂をバルフレアに手を引かれながら、パンネロは泣き出したくなった。

1 2 3 4 5 6 7 8