その後の二人。【後編】(DDFF/R18)

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シャントット博士がホテルのレストランに座っていても、誰も何も言わない。一見子供のようにも見えるのだが、その特徴的な耳の形で一度すれ違った者たちは誰しもがぎょっとして振り返る。だが、一度酔っぱらいが博士をからかい、その時起こった惨事が瞬く間に街中に広がりって以来、誰もが博士を遠巻きに眺めるだけになった。毎度毎度、滞在先で同じことを繰り返すのだが、フリオニールは未だにそれに慣れない。
(…お陰で…最高のサービスが受けられるけど…)
さっきも給仕に来たウエイターがびくびくしながらお茶のお代わりを注いで行ったのを見て、フリオニールは些か気の毒になってくる。当の博士はそんなことは些事だと気にも留めず、優雅に右手にティーカップを持ち、左手に受け皿を持って、ゆっくりと時間をかけて食後のお茶を楽しんでいる。
博士の手元には食事の終わった皿が置いたままだった。サンドイッチが半分残っているので、給仕達が下げて良いのか判断しかねているのだろう。博士はサンドイッチを食べる時、まずフォークとナイフで4つに切り分ける。そして切り分けた物をきちんとナプキンで包んで食べるのだ。そうしないと大き過ぎるのだろうが、その口調から察するに名家の出身だということが伺える。
(ライトは…いつも丸ごとかぶりついていたけど……)
残ったサンドイッチを眺めながらフリオニールはぼんやりと考える。口を大きく開けて食べて、時々口元や頬にパンくずや千切れた具材がついていて、自分でもそれに気付いているのか時折ナプキンで口を拭っていた。
(真面目な顔をして食べてるいのに、時々おいしい!って目が輝いて…)
その様子がとても可愛かったな、と思い出す。こんな風に、ふとした瞬間にいつもいつもライトニングのことが浮かぶ。微笑ましい思い出にふっと心が浮き立つのだが、傍に彼女がいないという現実も同時に思い出されて。あっという間にもやもやした物が集まって固まり、ずっしりとした重みを持って、胸の辺りにぶら下がるのだ。
「なぁ、博士…」
「サンドイッチが欲しいなら差し上げますわ。」
「うん…いや、そうじゃなくて…」
「恋人のことを思い出して、メソメソ泣き言を言うようでしたら、口ごと氷づけにしてさしあげますわよ。」
涼しい顔で恐ろしいことを言われ、フリオニールは一瞬ためらいかけたが、
「そうじゃなくて…いや、ちょっとそれもあるんだが…さっきの話だ。この世界のことだ…」
博士は眉一つ動かさず、注がれた茶の香りを楽しんでいる。これは話を続けても良い、というサインだ。
「博士はこの世界は箱庭のようだ、と言った。じゃあ、カオスとコスモスが戦っていた世界はどうなっているんだ?俺が出会ったユウナや、カイン、それに他の戦士の世界も箱庭みたいなのか?」
フリオニールは何もない真っ暗な空間に箱がいくつも浮かんでいる様が頭に浮かんだ。だが、本当にそんなことがありえるのだろうか。
「だとしたら、箱庭の外の、その果てはどうなっているんだ?」
「あなたは夜の空を見上げて、その果てがどうなっているのか見たことがあって?」
「博士の世界ではそれを見た人がいるのか?俺には途方もなく大きすぎて…」
フリオニールはテーブルに肘をついて、その手のひらの上に頬を乗せて考える。途端に博士がテーブルを指先でトン、と叩いた。それだけでレストランにさっと緊張が走り、フリオニールも慌てて手を膝の上に乗せて背筋を伸ばした。
「それで、その、なんだか自分がひどく小さな…まるでそこいらを這いまわる虫みたいに、取るに足らない物に思えてしまう。」
「ああもう、ズルズルズルズルと鬱陶しいこと!」
博士がイライラとテーブルにカップと皿を置くと、それがカシャン、と小さく音を立てた。それだけで給仕達がびくり、と肩を跳ねさせる。
「ところで、へっぽこ脳筋ズルズル君は、彼女を探しだしてどうするおつもり?」
「どうするって…それは……」
「まさか彼女を元の世界に、なんて思っていないでしょうね?それが彼女の幸せとかなんとか。」
「博士……」
図星をさされ、フリオニールは返答に困る。フリオニールがライトニングを探している理由は、
(あんな別れ方…せめてもう一度…会いたい……)
という一点に尽きる。
(もしライトが元の世界に戻りたいと言うのならそうしてやりたい…でも…)
それを博士に告げたら丸焼きにされる、となぜか直感した。だが、フリオニールが実際に言葉にしなくても、口ごもってしまったのを見て察したのか、博士はふん、と鼻で笑った。それに侮蔑が込められているのを感じて、フリオニールは大きな身体を縮め、下を向いてしまう。
「くだらないこと。」
吐き捨てるように言われた。だが、フリオニールは何故か言い返せなかった。ライトニングの気持ちを一番に考える。今までだってずっとそうしてきた。周りのことを一番に考える。誰かのため、皆のため、それの何が間違っているというのだ?だが博士の口ぶりだと、それが間違っているかのように聞こえてくる。フリオニールは混乱し、口唇を噛み締め、膝の上で拳を握りしめた。
「…俺と…博士…では、違う…から…」
辛うじて言葉を絞り出す。
(…博士は…俺と違って…異世界を渡るようなすごい魔力を持っていて…頭も良くて…だから、そんな風に言えるんだ。)
だがそれを口にする勇気はない。丸焼けにされるより、軽蔑の方が堪えるからだ。
「いくら最終魔法のためとは言え、そぉんなくだらない理由にこのわたくしが付き合わされるなんて。」
テーブルの向こうからものすごいプレッシャーを感じて顔が上げられない。圧迫感で身体ごと岩に押し付けられたようだ。
「ま、悲劇のヒロインよろしく不幸に酔って、自ら消滅を選ぶようなおバカさんとはお似合いね。」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。だが、それが命をかけて自分とこの世界を守ってくれた恋人のことだと思うと頭にカッと血が上った。
「博士!」
フリオニールが椅子を蹴るようにして立ち上がると、レストランの客も給仕も我先にとレストランの外へと向かい始めた。
「あら、ごめんあそばせ。つい本当のことを。」
背後を客達がやかましく駆け抜けて行くのにも、フリオニールがテーブルに手をつき、詰め寄っているのも気にもとめず、博士は手の甲を口元にあててホホホと笑う。
「いくら博士でも今の言い方は!」
「誰しも本当のことを言われると一番腹が立つ、と言われてますけど、本当ですのねぇ。」
「ライトは!俺のために!」
博士は涼しい顔のまま、ぴょん、と椅子から飛び下りるとよちよちと歩き出す。後に追いすがるフリオニールに一瞥をくれると、
「あなたがそれを彼女に頼みましたの?」
「そんなことは……」
「あなたいつもぐずぐず愚痴っていたんじゃありませんこと?”どうして言ってくれなかったんだ”って。」
フリオニールは怒りと、それでいて何か大切なことがわかりかけている奇妙な高揚感に混乱していた。確かに高飛車ではあるが、博士の言うことにはいつも筋は通っていた。
(…と、思う。)
博士がこんな風に言うのはちゃんと理由があるはずだ。部屋へと戻る階段は博士には高すぎる。フリオニールはいつもそうしているのだが、博士を抱えて階段を上る。
「それは…俺の我がままだ。ライトは自分を捨てて俺のために…!」
「好きな男のために命を投げ出す。男の方はたまったものじゃありませんわ。一生その女のことが忘れられない。まるでおとぎ話みたいに思い出の中で永遠に美しいまま。いえ、どんどん美化されていきますもの。うまいことやったものですわね、彼女。あなたは永遠に彼女ただ一人のもの。でも!」
言葉を切って、フリオニールを見上げた博士の表情は目を細め、見下したような笑みを口元に浮かべていた。
「姑息ですわ。」
最愛の人を馬鹿にされ、軽蔑された。本当なら博士にそれこそ身体が震えるほどの怒りを覚えてもおかしくないはずなのに、フリオニールは何も言えなかった。ただ、どんどん心が冷えて行くような、自分の足元が音を立てて崩れてって、そこに空いた穴に落ちて行くような心細さで身体が震えた。
(…だけど、何故だ…何か…とても大切なことがわかりかけている感じが……)
そうだ、自分はここの所ずっと理不尽さを感じていたではないか。再会した恋人は皇帝に召喚され、消滅を約束されていた。恋人に別れを告げられ、一人部屋に取り残されたとき、それを不条理だと感じていた。
どうして彼女が消えなくてはならなかったのか。ライトニングを探し出すことばかりで頭がいっぱいで、その理由など考えたことがなかった。
(でも、それが分からないと、ライトは戻ってきてくれない…)
頭が澄み渡って、言葉が次々と溢れ出る。
「博士…博士がこの世界に来たのは…コスモスに頼まれたからか…?」
「一応は。」
「でも、博士の目的は最終魔法だ。世界を守ろうとするコスモスに協力しているのは…」
「まぁ、コスモスの戦いには大義がありますわね。」
「じゃあ、もしカオスに召喚されたら…!?」
「失礼なことを。わたくしが混沌の神に?」
顔を顰める博士だが、今の所黒焦げにされたり、氷漬けにされたししてはいない。ということは、
(俺は…答えに近づいているんだ…)
「博士。博士はたとえカオスに召喚されてもそこで戦う。なぜなら博士の目的は最終魔法だからだ。」
フリオニールは興奮してまくし立てた。
「俺は、それは…良くないことだと思う。皇帝が世界を自分の支配下に置こうとするのも、悪いことだ。たくさんの人が巻き込まれて死んだ。それは…どうなんだ?もし博士が最終魔法のためにカオスのために戦って、いくつかの世界が滅びたとしたら…?それでも構わないのか?俺には分からなくなった。世界が滅びても、たくさんの人が死んでも、人は、したいことを、やりたいことを、生きたいように生きていいのか!?」
「いつまでわたくしを抱えているつもりですの?」
フリオニールはそう言われて、とっくに階段を上り切り、部屋のあるフロアに着いていたことに気が付いた。博士は床に下ろされると、自分の部屋に向かってよちよちと進む。フリオニールはその後に続く。
「わたくしを、あの支配欲にとりつかれた金ピカと同列に語る無礼は許してあげましょう。あなたの言う通り、わたくしとあの愚帝に同じ所があるとすれば、目的がはっきりしている、という所かしら。」
博士はゆっくり振り返ると、手を後ろに組んで、胸を反らせた。
「違う点は社会的良識、とでも言いましょうか。殺してでも奪いとるか、人の命を奪うくらいなら諦めるか、その判断。」
博士の顔からはフリオニールを小馬鹿にしたような表情は消えていた。
「もう答えは分かっているのでしょう?言ってごらんなさいな。聞いてさしあげてよ。」
フリオニールは跪くと博士の目を真っ直ぐに見た。
「博士……」
ごくり、と息を飲み込んだ。その言葉は、決して口に出してはいけない「悪いこと」だと信じていたからだ。
「俺はライトに”ずっと一緒に居てくれ”と言ってもいいんだな。」
博士は、ふむ、と今度は顎を反らせる。鼻がピクピクしている。
「俺は、やりたいことを自由にしてもいいんだ。少なくとも、ライトに言ってもいいんだ!」
「どぉせへっぽこ君のことですもの”俺が君を元の世界に戻してやる”とかなんとか言っていたんでしょう?」
「さっすが博士だな。」
ずっと暗闇を歩いていたのに、急に陽がさして、目の周りの全てが明らかになった気分だった。漸く今自分がどこに立っているのか、どこに向かっているのかがはっきりと分かったのだ。
「博士が言った。相手が望まないことをするのはおこがましいって。俺は、ライトに俺のために消えて欲しくなかった。ライトは俺に”元の世界に戻してやる”なんて言って欲しくなかった。俺達は…」
認めるのは勇気が要った。言葉にするのは躊躇われた。
「俺達は、お互いを見ようと…していなかった…」
言葉にすると、怒涛のような後悔が押し寄せてきた。
「ライトが不安になるわけだ…その不安から逃れるために、消滅を選んだんじゃないかな…俺が”ずっと一緒に”と言っていれば、ライトだって…」
「彼女のとった行動は一見尊い。でも、へっぽこ君の言葉に尽きますわ。」
「俺の?」
「”どうして言ってくれなかったのか”。」
「ああ…」
「2人で乗り越える道を選ぶことも出来たはず。なのに、そこから逃げ出した。その方が楽ですもの。問題と向き合わず、消滅を選んだとしても、大きな問題を解決する為とあらば、誰にも攻められることはありませんものね。」
「むしろ、感謝される。」
フリオニールの頭の中で博士の言葉を何度も反芻した。”ずっと一緒に”、その一言をひたすら待っていたライトニングのことを思うと、自分はなんて愚かだったのだろうと思う。反面、真実を話そうとしなかったライトニングの行動が、自ら消滅を願っていたかのようだ、という博士の言葉の通りのように思えてきて。
「博士ーーーーーーっ!」
思わずシャントット博士ににじり寄り、その肩を掴もうとした所で伸ばした手が凍り、それは瞬く間に全身を覆った。五臓までカチカチに凍ってしまう程の冷気だ。
「おお、野蛮だこと!大声を出して掴みかからないでもらいたいわ。」
だが、氷柱になってしまったフリオニールは尚も博士に向かって手を伸ばす。博士はにやりと笑う。
「こうでなくてはね。」
だが、そんな言葉はフリオニールには届かない。
「…か、せ…早く…ライトを…」
博士がパチン、と指を鳴らすと、フリオニールを覆っていた凍りは消え失せ、フリオニールはその場に崩れ落ちた。
「少しは頭が冷えたかしら?」
「…冷えて、ない…早くライトを…ライトの居る所へ…」
あれはブリザドなどではない。ブリザガだ、とフリオニールは思う。氷が消え去ったとはいえ、刺々しい冷気がまだ身体に残ったままだ。博士が何気なくお仕置きで使う小さな魔法はそれ自体が最上級の威力を持つ。だが、今はその魔力をもってしても、フリオニールは逸る気持ちを止めることができない。
「俺は一刻でも早くライトの所に行かなくちゃいけないんだ。一体、どこへ行けば……」
「どこへでも。」
「頼むから真剣に答えてくれ。」
「真剣でなかったのは、脳筋君の方でしょう。」
「どういうことだ?」
「わたくしは、嘘を吐いたりしていなかったということですわ。」
フリオニールは暫く考えこみ、あ!と声を上げた。
「…まさか…!」
「ええ!今まで訪れた場所、どこも世界と世界の狭間へ通じる道でしたのに。自分の本心すら気づかずに、恋する相手をどこかへ送り返そうとする者に、扉が開くわけがないでしょう?」
フリオニールは穴があくほどシャントット博士の顔をじっと見つめ、やがで、押し殺したような声で笑い出した。それはしゃっくりのように引きつった笑いになり、最後には高笑いへと変わった。
「なんですの?冷気が頭にキましたの?」
「違う…いや、そうかもしれない…」
笑い過ぎて涙が出そうだ。なんて遠回りをしたのだろうと、自分がとてつもなく愚かに思えただけだ。
「…よし!」
フリオニールはシャントット博士を脇に抱えると立ち上がった。
「ちょっと!なんですの、急に?」
「さっきの湖に戻る。」
「なんですってぇ?」
「早く迎えに行かないと!今ならライトの所に行けるのだろう?」
呆れたシャントット博士が次はどの魔法をお見舞いしてやろうかと考えたところで、フリオニールはぴたり、と足を止めた。
「だめだ。まだライトを迎えには行けない。」

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