その後の二人。【後編】(DDFF/R18)

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シャントット博士は眉一つ動かさず湖水を見ていた。
厳しい寒さのこの地では湖の表面は厚い氷で覆われている。岸から少し離れたところの氷が割られており、博士はじっとその穴を見つめている。氷の割れ目を見ると、その厚さは彼女自身の身長ほどあり、この地の寒さが尋常ではないことが伺える。
だが、博士は真っ白な毛皮のマントを着こみ、焚き火の側に居るのでさほど寒さは感じていない。もうどれくらいの時間が経つだろうか。彼女はひたすら湖に空いた穴を見つめていた。
博士の眉が微かに動いた。やがて水面に小さな波が起こり、突然人の頭がそこから現れた。中から現れた人物は氷の縁に手を置くと、勢いを付けて身体を跳ねさせ、氷の上に片足をかけた。一糸まとわず極寒の湖から出てきたのはフリオニールだ。全身と髪からぽたぽたと水を滴らせているが、それは肺が悲鳴を上げるような氷点下の気温の中でたちまち凍りついた。残った力を振り絞って、足に体重をかけ、氷の上に上がる。フリオニールは寒さで強張った腕で自分を抱えるようにして、一歩、また一歩、不自然な歩みで岸に近づく。肌が痛いほどの寒さで身体が思うように動かないのだ。
「その様子だと、何も見つからなかったようですわね。」
言葉も出ないほど寒いのだろう。いや、話せるはずもない。顔は既に氷漬けで、歯はガチガチと音を立て、口唇は紫色を通り越して真っ青だ。漸く焚き火の側にたどり着くと、その前に立ち寒さのあまり足踏みをする。炎の熱で身体の表面を覆う氷が徐々に溶けてくると、人心地を取り戻したのか、漸く博士の問いに答える。
「そ、そっ、それ…らしい…ものっは……なに…もっ、なかっ…た…」
「おかしいですわねぇ…異世界への門はここで間違いないはずですのに。」
カミソリの歯のような鋭い寒さの中でフリオニールはじっとしておられず、身体を小刻みに震わせている。
「ま、ま、前っも…そそそ、そうっ、言って…っ…た…じゃ…ないか…っ…」
「私が嘘を吐いているとでも?この私が?」
博士の声のトーンが低くなったのに、思わずフリオニールの背筋が伸びた。歯がガチガチと鳴っていたのもピタリと止まる。
「そんな…つもりは……」
「いいこと?本来なら私はもうとっくに栄えある神々の戦いの戦列へと戻っているはずですのよ。」
「…わかっている。でも、俺は…ライトのために、どうしても博士の手助けが必要だから…」
「だったら、そんな愚痴なんか言わずに、さっさともう一度潜ってらっしゃいな。」
「それは無理だ、博士。もう少し暖まらないと、ライトを見つける前に俺が死んでしまう。」
ライトニングの消滅のあと、突然現れた異世界からの訪問者。それがシャントット博士だった。凶大な魔法の使い手で、フリオニールはライトニングを見つける手助けを頼もうと引き止めただけで、博士の電撃を3発も喰らってしまった。それでも手を離さないその根性というか、フリオニールの魔法へのタフさに目をつけたのか、
「私の、最終魔法の実験台になると言うのなら、手伝ってあげてもよくってよ。」
と、話がまとまり、以後、フリオニールはシャントット博士と行動を共にしている。消えてしまった召喚獣というのは異世界と異世界の隙間に居ると博士から教わり、
「どうやったらそこに辿り着けるんだ!?」
「この世とあの世の境界が異世界の隙間への入り口という伝承をよく聞きますわね。」
「よし!この世とあの世だな!!」
と、意気込んだフリオニールが「この世とあの世」という伝承が残る場所を博士と共に探求するようになって、もう3ヶ月が経った。色んな地を訪れるにつれ、フリオニールは自分が果たしてその最終魔法とやらに耐えうるか博士に実地で試されているのではないかと思うようになっていた。
「あの崖をお上りなさいな。」
と、天にそびえ立つ岩山を命綱なしで登らされたり、
「この下に洞窟があるそうよ。」
と、荒れ狂う波が打ち寄せる岸壁に飛び込み、潮が渦を巻く海面の下にある洞窟へ行けなど、フリオニールは何故今も自分がこうやって生きていられるのか不思議なくらい、危険な場所に何度も行かされていた。
だが、その苦労苦難に反して、博士の言う異世界と異世界の隙間など見つかりもせず、フリオニールは本当にそんな場所があるのか疑わしく思い始めていた。が、それを決して口に出すことはない。
(言ったら……また黒焦げにされる…)
前に素直というか、馬鹿正直にその疑問を博士にぶつけてみたところ、瞬く間に黒焦げにされたのだ。しかもその炎の熱さときたら、火山の溶岩が湧き出す清水のようだと思えるほどの熱さで、フリオニールは二度とうかつなことは口にするまい、と固く心に誓ったのだ。それに、異世界の知識など一切ないフリオニールに、消えてしまったライトニングを取り戻す方法など思いつくはずもない。知識がある博士に縋るしかないのだ。
(だが…俺が博士と行動を共にするのは、恐怖やその知識のためだけじゃない…)
漸く身体に血が巡り始め、皮膚に感覚が戻ってきた所で、フリオニールは焚き火の向こう側に居るシャントット博士を見た。
「…なんですの?」
「…博士と旅をするようになって、随分経ったなって。」
「本当に。私としましては、こんなイナカとは早くおさらばしたいのに。」
博士の言葉にフリオニールは笑う。これだけ強大な魔力の持ち主だ。きっとその気になればいつでもコスモスという女神が居る戦列に戻れるはずだ。それでも、尚残ってくれるのは、
(博士が…人に何かを教えるのが好きだからだ。)
共にライトニングを探す旅に出ることが決まったとき、博士がこう言ったのだ。
「私のことは、”シャントット博士”もしくは”博士”とお呼びなさい。」
「博士…?」
「最高峰の学術を修めた者に与えられる称号ですわ。」
そんなことも知らないなんて、と呆れられたのだが、
「じゃあ、先生みたいなもの…か…?」
という質問に、満更でもない表情を見せたからだ。
「なぁ…博士…」
「なんですの。」
「俺は…博士に感謝している。」
シャントット博士は、おや?と眉を少し跳ねさせた。
「ライトが消えてしまって…自棄になっていた…俺は……」
ライトニングが消滅してしまった時の事を思い出し、胸がチリチリと痛む。
「あの時…ライトが居なくなったあの時…本気で世界が壊れればいい…いや、俺がこの手で壊してしまえばいい、本気でそう思っていた…」
「あなたのような脳筋へっぽこ君に、そんなことが出来るなんで思いませんけど。」
「俺もそう思う。」
博士の物言いもフリオニールは悪びれる様子はない。
「だが…博士に会わなかったら、自暴自棄になって自分でも何をしでかしていたかって思うし、ましてやライトを探す手立てなんか、絶対に思い付かなかったと思う…」
シャントットは言葉を挟まない。そういう時はちゃんと話を聞いてくれているのだと、共に旅をしてきてわかっているので、フリオニールは言葉を続ける。
「なぁ、博士…世界、というものはどうして俺から奪い続けるのだろう?」
「あなたが弱いからに決まっているでしょう?」
「じゃあ、皇帝はどうだ…?俺は…ヤツを2度倒した…いや、もし俺がカオスとコスモスの居る世界で戦って勝利したなら、3度、ヤツを倒したことになる。俺はあいつよりも強い、ということだろう。だけど、俺よりも好き勝手をしていて、それが許されていた。」
「あの身の程知らずの悪趣味な金ピカ皇帝が誰に許されてたと言うんですの?」
「誰って…」
この世界に、と言おうとしてフリオニールは考えた。
(この世界は俺から奪い続ける、この世界は皇帝には甘い…)
「博士、俺にはまるで世界が生きているような、なんだか生き物のような気がしてきた。」
「おばかさんにしては、悪くない目の付け所ですわね。」
一応は褒められたので、フリオニールはそのことについて考えようとし、やがてがっくりと肩を落とした。
「やはり…俺には難しい…」
「当たり前ですわ。”世界とは何か”。こんな哲学的な問いかけにすんなり答えられたら、すぐにでも及第点をさしあげますわよ。」
「…そうだろうな…」
「ただ、その目の付けどころに免じて少しヒントをあげましょう。」
「ヒント…?」
フリオニールは博士の言葉に目を輝かせる。博士の講義を聞くのは楽しい。実を言うと、博士の講義の半分以上は何を言っているのかわからないのだが、それでも、今まで世界の成り立ちにについて語って聞かせてくれるような才知に長けた人物が身の回りに居なかったので。
(いや、居た…)
戦いのこと、魔法のことを教えてくれた、褐色の肌の白魔道士のことを思い出した。恐ろしい人物に関わらず、シャントット博士を慕うのは、彼を博士に重ねているからなのだろうかとフリオニールは思う。
「世界とは。」
シャントット博士はフリオニールの感傷などお構いなしに講義を始める。
「そこに生きる生きとし生ける物そのものが持つエネルギー、循環する命、そして人間の思惑が起こす政治や経済、そして戦争などの事象に加えて、カオスやコスモスのような神と呼ばれる超常的な存在、時には星を越えてやってくる来訪者、そんな物たちによって織りなされた箱庭だと考えてご覧なさい。」
「箱庭…か…」
フリオニールは子供の頃、祭りで見かけた小さな木や建物、人形が配された箱を思い出した。どこかの街を模したものと聞いて、見たことがないその街に思いを馳せたものだった。
「仮にあなたがあの支配したがりの金ピカ皇帝に敗れたとしましょう。箱庭の中はどうなりまして?」
「…人が減ったり…そうだな、建物が増えたりするかな。」
「箱庭そのものは?」
「…何も変わらない。箱の中は人が増えたり減ったり、建物が動いたりするけど…箱そのものはそのままだ。」
シャントット博士はその通り、と言わんばかりに頷いた。
「…でも、それだと…俺が自由のために戦ったり、異世界で戦ったり、ライトが…消えてしまったのも…」
「人はそれを”運命”とか”宿命”なんて言いますわね。」
なんとなく割り切れないものを感じて、フリオニールは黙り込んだ。
「でも、器用貧乏くんは、そんな陳腐なものに抗おうと思っているんでしょう?」
「…博士、何度も言っているが俺の名前はフリオ…」
「だったら、さっさともう一度潜ってらっしゃいな。もう充分暖まりましたでしょう?」
「いや…その…」
「それと!」
博士はふい、と横を向き、さも不愉快だと言わんばかりに横目でチラリとフリオニールを見て、
「淑女の前で、そんなみっともない格好!丸焼きにされたくなければさっさと行ってらっしゃいな。」
「丸焼き?」
そう言われ、視線を落とし、フリオニールは自分が何も身に着けていないことを漸く思い出した。
「いいいいっ、行って来る!」
丸焼きにされては敵わないと、フリオニールはつんのめるように駆け出すと、水面に開けた穴に、躊躇することなくザブン、と飛び込んだ。
「あんなに慌てて飛び込んで、心の臓が止まらないといいのですけど!」
シャントット博士はやれやれ、と肩をすくめたが、フッと真顔に戻る。崩れ去るパンデモニウム城の前で出会った時のフリオニールは心の底から世界を憎んでいた。だが、共に旅をするにつれ、憎悪の気持ちは薄れていったようだ。時折恋人のことを思い、沈鬱な表情をしてはいるが、それでも自分なりに恋人が消滅したこと、自分の世界の成り立ちについて考えるのは良いことだと思う。だが、
「残念ですが、このままではまだまだ恋人と再会出来そうにはありませんわね。」
つまりは、自分の戦列への復帰もまだまだ先ということだ。丸一日湖畔でフリオニールが氷の下へ潜るのを眺めるのに退屈した博士は、誰も見ていないのをいいことに、あぁん、と大きな欠伸を一つした。
日が暮れる頃になって、漸く博士から「今日はここまで」の言葉をもらい、フリオニールは焚き火を消して、装備を運んできた橇にまとめると、シャントット博士を抱き上げ、橇に積んだ荷物の上に座らせた。橇に繋いだ縄を肩に担ぐ用にして引き、麓の村に向かって歩き出した。
「博士、晩飯は何がいい?」
今日もライトニングへ繋がる道は見つからず、とフリオニールはひどく落胆していた。シャントット博士との旅に慣れ、ライトニングが一緒に居ない状況に慣れつつあるのに焦りを感じていたが、それでも努めて明るい声でシャントットに尋ねる。
「私は軽いもので結構。待っている間、退屈してお茶ばかり飲んでいましたもの。」
「じゃあ、サンドイッチだな。」
「あの干し肉のがいいですわ。味付けは素朴で単純ですけど、まぁまぁ食べられますわね。」
(ライトの…好物だ…)
途端にサンドイッチを頬張るライトニングが浮かんで目に涙が浮かぶ。涙を止めようとしても、喉元から何かが涙腺を押し上げているかのようで、こらえきれない涙は頬を伝って落ちた。日が落ちて寒さはますます厳しくなり、それが魂をも凍りつかせるようで。博士によると、”心”という器官は身体に存在しないそうだ。だが、それは確かにフリオニールの胸の辺りにあって、ライトニングを思うだけで震え、たくさんの剣で一度に刺されたかのように傷んだ。
「…博士……」
「泣き言なら聞く耳は持たなくってよ。」
「…厳しいな…」
フリオニールは博士の耳に届かないように独りごちる。
「…博士、俺は…どうすれば良かった…んだろう…」
「またその話ですの?」
博士のうんざりした口調を意に介さず、フリオニールは言葉を続ける。
「俺は…ライトのために…何かしてやれたんだろうか…」
「どぉだか。相手が望んでいるかどうかも分からないことを、”してやった”なんて、押し付けがましいとは思いませんの?」
厳しい言葉にフリオニールは口唇を噛み締めた。
「…そうかもしれない…俺は、ライトがすごくきれいだから、いつもきれいだって、何度も言って…そうしたらライトは怒っていたし…」
「あら、それは初耳ですわ。」
ライトニング恋しさに、フリオニールは気持ちが落ち込むと、ついついシャントット博士にそんな気持ちを打ち明けてしまい、鬱陶しがられていたのだ。だが、フリオニールがライトニングをきれいだと繰り返し伝えていたことは初めて聞いたようだ。
「それって、女性には迷惑なのだろうか…俺は、本当にライトがきれいだと思って…つい…」
「まぁ、バカのひとつ覚えみたいに、きれいだきれいだ、ばかり言われたら、うんざりもするでしょうよ。」
「そ、そうか…」
「あなたに言っても詮無いことでしょうけど、もうちょっと言い様があるのではなくて?」
「そうか!」
がっくりと肩を落としていたフリオニールだったが、うれしそうに顔を上げた。
「博士ならどう言われたらうれしい?」
肩越しに目をキラキラさせて聞かれ、どうして前に居た世界で英雄でもあり、高名な魔導師でもあった自分がこんな低俗な話に付き合わなければいけないのか、と実に嘆かわしくなる。それでも、暫し一緒に旅をして、気の毒な状況ではあるので面倒ではあるが答えてやる。
「例えば、肌の白い女性のことを”雪の精のようだ”といった風に言いますわね。」
フリオニールはなるほど!と何度も頷くと、
「さすがは博士だな…そうか、何か綺麗なものに喩えればいいんだな!」
「まぁ、そういう言い方もありますわね。」
「綺麗なものか…」
フリオニールは雪を踏みしめながら考える。もし、無事にライトニングを見つけ出したらどんな風にライトニングが美しいと伝えようかと考えると、シャントット博士が与える苦行も頑張って乗り越えられそうだ。
「そうだ!ライトの名前は雷が由来だそうだ!」
ものすごく嫌な予感がして、シャントット博士は返事をしないでおくが、フリオニールは我ながら名文句を思いついたと、重かった足取りまでが軽くなる。
「だから、ライトは雷の精みたいにきれいだ!というのはどうだろう?」
口の院の元院長であり、ウィンダスを代表する3博士の一人にして、クリスタル戦争での英雄の一人であり、現ウィンダス連邦政府元老院議員首席であるシャントット博士は、嬉しくてそわそわしているフリオニールに一瞥をくれると、深い深いため息を吐いた。


※シャントット博士の肩書はこちらを参照させていただきました。
FF11用語辞典 ~ ウィンダスの仲間たち版/http://wiki.ffo.jp/html/1619.html


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