パジャマ。(FF12)

この記事を読むのに必要な時間は約 17 分です。

「あのね、今日はお買い物してきたの。」
そう言ってパンネロがうれしそうに白いショッピングバッグを見せてきた。
バルフレアはシャワーを浴びたところで、ソファで届いたばかりの技術者向けの専門書を開こうとしたところだった。が、珍しいこともあるものだとすぐさま本をテーブルに置き、バッグを抱えて隣に座るパンネロの肩に腕を回した。
「いい物が見つかったみたいだな。」
「わかる?」
散財しがちなバルフレアに比べると、パンネロは無駄遣いをしない。与えられた生活費できちんとやりくりをする。服やアクセサリーなどはバルフレア任せだ。もっと好きに買い物をしたらいいのにと思うのだが、それを提案すると、
「バルフレアの贈り物がどれも素敵で大好き。でも……たくさん買い過ぎ。これ以上買ったらもうクロゼットの扉が閉まらなくなっちゃう。」
と言われ、さすがに自分の趣味を押し付け過ぎたかと反省していたところなので、これは良い兆候だ。謹んで拝見せねばとバルフレアは居住まいを正した。
パンネロはバッグの中から白く柔らかな素材のものを取り出した。柔らかく伸縮性のある生地で、袖口、裾、襟にグレイのサテンでパイピングがされているのを見ると、どうやらナイトウェアのようだ。
「ね?かわいいでしょ?」
パジャマの生地には薄いグレイでハート柄がドット状にプリントされている。白い生地と薄いグレイのコントラストはぼんやりとしていて、目を凝らさなければハート柄とはわからないのがパンネロが気に入った理由だそうだ。ユニセックスなデザインではあるが、サテンのパイピングやショール・カラーが良家家の子女が着るものといった趣で、バルフレアはパンネロのチョイスに大いに満足した。
「ああ、きっとパンネロによく似合う。」
実際によく似合うのだろう。が、こういったかわいらしいデザインのものは、脱がせるときに自分がとても幼い少女を今から抱くような気がして罪悪感とか、いや俺は少女趣味ではなくパンネロだからいいんだとか、ひと回りして背徳感がたまらなかったりとか、バルフレアをものすごく複雑な心境にさせるのだ。
(またパンネロが似合うのが困るんだ……)
心の中でぼやきながら、パンネロが選んだパジャマを眺め、バルフレアはあることに気がついた。
「パンネロ。」
「なぁに?」
「これはボタンの位置が逆だ…店員が間違って男物を渡したんじゃないか?」
バルフレアの言う通り、ボタンが右側についている。ショール・カラーにしたって、本来ならタキシードなど、男性用のスーツに使われるデザインだ。
「そうよ。だって、これ、バルフレアのだもの。」
バルフレアが固まった。
「あ、私のもあるの。おそろいなの。」
パンネロはうれしそうに、自分の分を取り出し、胸に当ててバルフレアに見せる。
「私のはこっち!ちょっとデザインが違うでしょ?」
メンズのものより襟は小さく、シンプルな丸襟になっている。胸の下に切り替えがあり、ギャザーが寄せてある。少女らしい、かわいらしいデザインだ。
バルフレアは何か言おう口を開こうとするが、言葉が出てこない。いつもなら柔らかい生地が浮かび上がらせるパンネロの体のラインとか、ボタンを外すときに恥ずかしそうに首をすくめる仕草とか、そんなことを思い浮かべながら、“抱きしめたらマシュマロみたいに柔らかくて、おまけに甘い香りがしてきそうだ。”とかなんとか気のきいたことを言うのだが。
「バルフレア?」
いつもと違うバルフレアの様子に、パンネロが首をかしげる。しまった、何か言ってやらないと、とバルフレアは焦った。
このパジャマはパンネロが着るには最高だが、自分が着るにはどうもかわいらし過ぎる。パンネロからの贈り物でなければ鼻にも引っかけない。だが、パンネロが自分のために選んでくれたものだ。感謝を述べ、実際に着て見せるのが筋だろうが、自分の好みの正反対なものだ。これを着る自分が想像できない。できることなら全力で逃げ切ってみせたい。
(どうすりゃいいんだ……)
頭が真っ白になる、という現象は自分にも起こり得ることだったんだとバルフレアはこのとき初めて知った。
「バルフレア、きっと嫌がるって思ったから、おそろいにしたの。一緒に着るんだったいいでしょ?」
(いや、それはそれでキツい。)
危うく口に出そうになったが、なんとか飲み込んだ。
バルフレアは寝るときに何かを着るのをあまり好まない。さすがにすっ裸で寝るわけにはいかないので、ウエストを紐で絞る、くるぶしの見える丈のラフなコットンのパンツを履いて、上半身は何も着ないことが多い。今だって上衣は何も着ていない。パンネロはいつもそれを心配していて、体が冷えてしまうとか、風邪をひいてしまうとか、バルフレアにお説教をしていたのだ。
「大丈夫、絶対似合うから!」
パンネロは自信たっぷりにそう言うと、パジャマのボタンを外し始めた。さっそく着せるつもりなのだろう。バルフレアはため息を吐きそうになるのを必死でこらえ、そうして、心の大切なところーープライドとか、こだわりとか、そんな部分だーーに、幾重にも扉を締め、しっかりと鍵をかけた。
「バルフレアったら、そんな怖い顔しないで。」
パンネロに言われて気づいたのだが、バルフレアは苦虫を噛み潰したような顔をしていた。逆にパンネロは楽しそうだ。
「はい!」
パンネロは極上の笑顔でパジャマの上着を広げ、「どう?」というふうに、かわいらしく首をかしげて見せる。その笑顔に一点の曇りもない。バルフレアの気持ちを知ってか知らずか…いや、知らないはずはない。
(……相手の気持ちを察することに関しては、パンネロはイヴァリースで一番だ。)
だとしたらこれは、パンネロがどんなに止めても、色とりどりのラッピングペーパーとリボンのかけられた箱を山積みするのを止めようとしないバルフレアへのしっぺ返しだろうか?
(いや、パンネロはそんなことはしない。)
こんな遠回しなやり方はしない。いつも根気よくバルフレアに話して聞かせているではないか。となると、
(……本当に、俺に着せたいんだな。)
しかもペアで。
(……一緒に、“おそろい”で着たいんだな。)
バルフレアが選んだものをパンネロが着ているのに、パンネロが選んだものをバルフレアが着ない道理はない。だとしたら、覚悟を決めてパンネロの気持ちを受け入れるだけだ。しかも、きまりが悪く感じていることを絶対に隠してだ。
バルフレアはできるだけ平常心を装い、パンネロからパジャマを受け取ると、袖を通した。サイズはぴったりだ。夜着なので程よく余裕があり、柔らかな生地を腕がすり抜けていく感触は悪くない。パンネロはバルフレアの好みをよく理解し、良い店で選んで来たのだろう。
片方袖を通してしまったからには後戻りはできない、もう片方にも袖を通した。ボタンは留めずにおいた。あとは、ひたすら無心だ。
パンネロはとういうと、訝しげにじっとバルフレアを見つめている。やはり似合っていないのだろう。普段着るものと系統が違いすぎる。
(これでパンネロが諦めてくれるとありがたいんだが……)
このファンシーなハートのドットのパジャマをペアで着る、という野心が潰えてくれるのがバルフレアにとっては最良だ。だが、
(待て……それだとパンネロががっかりする。)
あれだけ楽しそうにバルフレアに披露していたのだ。それが似合わないとわかると、がっかりするだろうし、自分のチョイスに自信をなくすだろう。無駄遣いをしてしまったと落ち込みもするだろう。何かフォローをしてやらねば。これは良いナイトウェアだとかなんとか。だが、自分の趣味からかけ離れたものを褒めるには、バルフレアはこだわりが強過ぎて言葉が浮かばないのだ。
「やっぱり!思った通り!」
突然叫んだかと思うと、パンネロはソファの上に膝で立ち、バルフレアをぎゅっ!と強く抱きしめた。ちょうどパンネロの胸のあたりに顔を埋める形になって、バルフレアは一瞬うっとりしかけたのだが、
「何が思った通りなんだ?」
パンネロのセリフが気になって我に返り、慌てて問いただす。パンネロは体を離し、自分が選んだパジャマを羽織ったバルフレアを少し離れたところから観察し、
「うん、すごく似合ってる!」
「なんだって!?」
自信たっぷりに告げられた感想を、バルフレアは素直に信じることができない。パンネロの予想外の言動に翻弄され、必死で隠してきた本心を取り繕うことを忘れてしまう。思わず声を上げてしまい、しまった!と気まずげに目を反らせた。
だが、パンネロは気にする風でもない。ずっと上機嫌のまま、ニコニコと笑ったままだ。
「本当よ、バルフレア、私の言うこと信じないの?」
「そんなことはない……いや……そうじゃないな。」
バルフレアは全てを諦めることにした。まずは趣味ではないパジャマを着せられたのが、心苦しいのだが、たまらなく不快なこと。パンネロにそれをごまかそうとしたことを素直に謝る。
「ごめんな……だが、俺にはどうしてもこれが俺に似合うとは思えないんだ。」
「そう言うと思った。」
パンネロは気にする風でもなく、クスクスと楽しそうに笑う。
「わかってるの。私こそごめんなさい。でもね、本当に似合うの。」
盛大に眉を寄せ、不可解な面持ちのバルフレアの鼻を、パンネロは指先でちょん、と突いた。これはバルフレアがよくパンネロにするの癖をマネしたものだ。
「今はシャワーを浴びたところでしょ?前髪をおろしたら、カワイイのも似合うなって思ったの。」
自分の立てた予測が正しかったと証明されたのがうれしいのか、パンネロは興奮気味にバルフレアの膝の上に飛び乗るようにしてまたがると、首に腕を回した。満足げに目を細め、白いパジャマを着せられたバルフレアを眺めている。
「勘弁してくれ……」
パンネロの仕草が愛らしくて、いつもならすぐさま抱きしめところだが、今はとてもそんな気持ちになれない。
(かわいい…?この俺が?)
それはバルフレアにとって、不名誉な言葉だった。そしてますますパンネロが何を考えているのかわからなくなる。確かに自分の趣味を押し付けてきたかもしれない。だが、それらがパンネロの好みから著しく外れるようなことはなかったはずだ。
「パンネロは、俺なんかをかわいくして、何がそんなにうれしいんだ?」
決して意地悪ではなく、心から似合うとパンネロは思っているのだ。そしてバルフレアが嫌がることも予想していた。そうまでしてこのハートが水玉模様になったなパジャマを自分に着せたがる理由がわからない。
「うれしいよ。」
素直に、パンネロが答える。
「だって、バルフレアがかわいくなると、私と年が近くなるような気がするんだもの。それがうれしいの」
「年が…近く……?」
どういう意味だと聞こうとして、バルフレアは気がついた。自分とパンネロは6歳違いだ。少し離れてはいるが、それくらいの年齢差の夫婦やカップルはいくらでもいるだろう。
だが、パンネロが言いたいのは実際の年齢のことではない。バルフレアのことを、実際の年齢より年上に感じているのだろう。
(そのギャップを埋めたかったのか……)
自分が幼く見えるなら、バルフレアもかわいらしくしてしまえばいい!というパンネロの思いつきの結果が、白くてふんわりとした、ハートが水玉なこのパジャマなのだ。
「パンネロ。」
「なぁに?」
「お前が…ときどき、俺の髪をくしゃくしゃにするのは……」
「だって、その方がかわいく見えるんだもの。」
こともなげにパンネロが答える。
「バルフレア…ね、いつもかっこいいなぁって思うんだけど、よく見ると顔立ちがカワイイの。目がふにゅっとして。ねぇ、ひょっとしていつも前髪を全部後ろに流して撫で付けるのって、大人っぽく見せたいからなの?」
どうしてわかったんだ、と言ってしまえば「その通りだ。」と認めたことになる。なのでバルフレアは口を噤む。
「フランの言った通り。バルフレアは思ったことがすぐ顔に出るのね。」
パンネロはさっきからずっと上機嫌だ。額と額を合わせてバルフレアの瞳を覗きこんだり、いろんな角度から見つめては何度もうなずいたり、バルフレアの膝の上でポンポンと跳ねたり。自分の思い通りになって、しかも今日はバルフレアの上手を行ったのがうれしくて仕方ないようだ。
だが、ここで大人しくなるバルフレアではない。このままだと次はもっとカワイイもの、たとえばピンクの花柄のパジャマを持って来るかもしれない。主導権を取り戻さなければ。これはバルフレアのアイデンティティをかけた戦いだ。
「お前には敵わないな、パンネロ。どうやって、このバルフレア様の秘密を知ったんだ?」
「わかるよ。大好きだもの。」
素直な返事に胸がキュウっとときめいた。だが、にやけている場合ではないのだ。バルフレアははしゃぐパンネロの頬に手を添え、まじろぎもせず、パンネロを見つめた。
「じゃあ、もうひとつ秘密を教えてやろう。」
前髪ごしの瞳がなまめかしく光った。バルフレアがまとう雰囲気が一変したのにパンネロはすぐに気がついた。はしゃいでいた様は鳴りを潜め、バルフレアの膝の上でソワソワと落ち着かない。そのくせ、その瞳に吸い込まれるように魅入られ、逃げ出すことができない。
「な、なぁに?」
負けるものかと意地を貼っても、声が少し震えている。
「知ってるか?こんな風に髪をおろした俺を見せるのはお前だけだ。」
思い入れたっぷりに囁きかけると、はしゃいで淡いピンク色だった頬が、フワッと赤くなった。薄い皮膚に透ける血管に血が集まるのが見えるのではないかと思うほどだ。
「そ、そ、そうなの……私……知らなかった……」
動揺するパンネロを見てバルフレアはほくそ笑む。もったいぶってパンネロに言ったことは、はったりである。髪を洗えば整髪料も流れて髪型は自然な形に戻る。その姿を見たのは、フランはもちろん、シュトラールを整備していたノノを始めとするモーグリたち、ひと晩のベッドを共にした女などだ。少し考えればわかるだろう。
だが、今はパンネロは動揺している。バルフレアにときめいて、ドキドキしているのだ。そんなパンネロを手玉に取ることなどバルフレアにとっては容易いことだ。自信の根拠はパンネロのお気に入りの、額に垂れた前髪だ。きっと瞳に影を落とし、いつもと違うムードを作り、パンネロを魅了しているのだろう。それをよく知ってのことだ。
どうせ明日の朝にはバレるだろうが、問題ない。「お前とベッドを共にするようになってから」と言えば嘘にはならない。そうして、このまま真っ赤になって恥ずかしがっている幼妻を抱き上げてベッドに連れて行けば、パジャマを自然に脱ぐこともできる。
バルフレアがパンネロを抱き上げると、頬を膨らませ、不満そうだ。
「バルフレア、ズルい…」
まどちょっとだけ悔しいパンネロが小さく呟く。
「いい考えがある。」
「なぁに?」
「パンネロ、お前の好きな“半分こ”だ。」
「半分こ?パジャマを?」
「このパジャマの上をパンネロが、下を俺が着る。それでどうだ?」
「素敵!それならおそろいね!」
パンネロは瞳を輝かせ、バルフレアにしがみつき、うっとりとその胸に顔を埋める。
よし、上手くいった。我ながらうまくまとめたと自画自賛する。ちゃんとパンネロの願いを叶え、なんとか妥協できるところまでハードルを下げることができた。バルフレアは安堵し、パンネロの額に唇を落とした。そのとき、自分が着ている白い柔らかな生地が目に入った。
淡い水玉がかわいらしいこれを、どうせならパンネロに着せてから言えばよかったな、とバルフレアは少し後悔した。
(そうすりゃ、脱がせる時またかわいいのに…)
そんな不埒なことを思いながら、バルフレアは寝室のドアを開け、まだ頬を染めたままのパンネロをベッドに横たえた。
おわり。