口紅をプレゼントされたら「(キスで)少しずつ返して欲しい」(FF12)

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「これを、私に…ですか?」
それは、手のひらにおさまるくらいの大きさの、銀色の筒だった。側面には花のついた唐草模様が彫られている。筒の上半分はふたになっていて、パンネロは筒の本体にかぶさっているふたを、そっと引き抜いた。
「……口紅?」
それはブラウンがかかったピンク色の口紅だった。上品な色だ。
最近、バルフレアは街に買い出しに行く度に、パンネロに何か小さな贈り物買ってくるのだ。かわいい花の形をした砂糖菓子だったり、色とりどりの糸とビーズでで刺しゅうがされた小さな袋だったり、香りの良い石けんだったり。どれも、年頃の娘なら誰もが喜ぶような、きれいで愛らしいものばかりだった。最初は喜んで受け取っていたパンネロだったが、次第に困惑するようになっていった。
プレゼントは嬉しいが、理由もなく物をもらうのは気が引けるのだ。ひょっとして、バルフレアは自分が怪しい連中に拐われたことを気にしているのではないか、それも心配だったのだ。
「きれいな色だろう?」
「……とてもきれい……だけど……」
「気に入らないか?フランに見立ててもらった。パンネロに似合いそうな色だ。」
「私にはちょっと……大人っぽい……かな。」
「そうかもな。」
だったらなおさらだ。なぜバルフレアが、わざわざこんな色の口紅を自分に送るのかがわからない。
「バルフレア……」
この人は、女の子、いや女性にこうやってしょっちゅう贈り物をするのだろう。その女性を気を引くために。とすれば、自分のように子供っぽい女の子に贈り物をする理由がさっぱりわからない。パンネロが複雑な表情をしているのに、バルフレアはすぐに気がついた。そして、パンネロがどうして困っているのか、その理由もちゃんとわかっていた。
「塗ってみないとわからないだろ?」
バルフレアは、小さな手からその口紅をとると、パンネロの華奢な造りの顎を指で心持ち持ち上げ、ふっくらとした唇の上に口紅を滑らせた。
「やっぱり似合う。」
バルフレアは満足そうに笑った。優しいブラウンの口紅は肌の色となじみ、パンネロの唇にさらにふっくらとしたボリュームが増した。だが、パンネロには何が起こっているのか思考が追いつかない。唇の上に残った、しっとりとした感触と蜜蝋の味が口紅を塗られたのだと教えてくれる。それはわかったのだが、バルフレア何を意図してこんなことをしているのかが分からない。2人の距離がとても近いこと、バルフレアの手が自分の顔をまだとらえたままで、パンネロが突然恥ずかしくなった。
口紅のふたのてっぺんの部分はキラキラと光るビーズが花をかたどっている。その花の部分を、バルフレアが親指でパチンと押すと、開いた花の裏側が小さな鏡になっていた。その鏡でパンネロの唇を映して見せる。
「どうした?気に入らないのか?」
気に入らないとかそういう話ではない。何が起こっているのかがわからないのだ。バルフレアが髪につけている整髪料の香り、そして彼自身の体臭がとても間近に感じられて、いたたまれなくて、逃げ出したくなる。なのに足が地につかないようにふわふわとした感じがして、体に力が入らないのだ。
「気に入らないようだな。」
バルフレアはハンカチを取り出し、さっきと同じように指でパンネロの顔をとらえ、口紅をそれでそっと拭き取った。その行為にパンネロは慌てた。口紅をハンカチで拭いたら、洗っても落ちないではないか。パニックに陥ったパンネロが何か言おうとうするその前に、バルフレアは同じ色の銀の筒をもう1本取りだしたのだ。ふたを外すと、今度は、珊瑚色の柔らかい色合いのピンクの口紅が顔を出した。
「こっちはどうだ?」
そう言って、パンネロの意図などお構いなしに口紅を塗ってしまい、また鏡に映して見せる。
「どうだ……って……バルフレア、一体何本口紅を買ったの?」
バルフレアは少し考えて、腰についているポーチから口紅を4本取り出した。
「全部で6本か。」
パンネロは言葉が続かない。だが、さすがにこのままではと、まずは自分を落ち着かせるために大きく息を吸い込んだ。
「バルフレア、気持ちはうれしいの。いつも素敵な贈り物……でも、私、こんなにたくさん、もらってばっかりいるわけにはいかないの。」
「どうしてだ?」
「どうしてって……理由もなく贈り物をもらうわけにはいかないの。ねぇ、バルフレア、もしバッガモナン達のことを気にしているんだったら……」
バルフレアは大げさに眉を跳ねさせた。
「俺がそれを気にして、お前にプレゼントをしていると思っていたのか?」
「そうでしょ?だって、それ以外にバルフレアが私にプレゼントする理由が思い付かないんだもの。」
バルフレアは未だにパンネロの顎を指で持ち上げたままだ。早く離して欲しくて、はっきりと、そして少し強い口調で伝える。
「いつまでも気にしてほしくないの。怖かったけど、バルフレア、私を助けるために……あ、ごめんなさい!ハンカチ、また洗って返すから、それだけ私にちょうだい?」
「待つんだ、お嬢ちゃん。」
バルフレアは更にパンネロに顔を近づけた。
「受け取ってくれないのか?」
「ちゃんと理由がないと、受け取ることはできないわ。」
「理由があれば良いのか?」
パンネロは頷いてみせた。きっと、頑張ってるご褒美とか、そんな風に言うのだろう。
「わかった。」
すぐ目の前にあったバルフレアの顔が、更に近づいた。気が付くと、黄と緑が不思議な色をつくる虹彩がすぐ目の前にあった。それに目を奪われている間に、自分の唇の上に温かくて、弾力のある厚ぼったいものが押し付けられていた。バルフレアの唇が自分の唇に重なり、覆っているのだと認識するのにしばらく時間がかかった。キスをされたのだと気付いても、パンネロは動けないでいた。さっきからずっと心臓がバクバクと大きな音を立てたてやかましいほどだが、今はとても静かだった。予想を上回る大きな驚きで、心臓が止まってしまったのではないかと思うほどだ。全ての音が消えてしまったように思えた。
我に返り、パンネロは驚いてバルフレア突き飛ばした。動揺しているせいで力は入らず、バルフレアはほんの半歩ほど後ずさっただけだった。
「ふ、ふざけないでください!」
バルフレアは黙ってパンネロを見つめている。言い訳の一つでもしてもらえないと、パンネロも抗議のしようがないではないか。
「私、そんな……」
「そんな……なんだ?」
涙が出そうになる。口紅だって、唇のキスだって、生まれて初めてだったのに。それを言って攻めたいし、怒りたい。なのに、唇の上に残るバルフレアの唇の感触が、甘くしびれるようで。今にも泣き出しそうなパンネロの唇を、バルフレアはもう一度ハンカチできれいに拭き取ってやる。不意打ちのキスの証拠を消してしまおうとでもするかのようだ。
「ごめんな。」
謝られたって、パンネロの初めては返ってこない。
「どうして……」
パンネロは肩を震わせ、やっと言葉を絞り出した。
「謝るくらいなら、どうしてこんなひどいことするんですか?子供だからって……からかったんですか?」
バルフレアはパンネロをそっと抱きしめた。壊れ物を扱うかのように、そっとだ。
「ごめんな。」
また謝られた。
「パンネロ……」
バルフレアはパンネロの前に跪き、その手をとった。
「普通に言っても、信じてもらえると思えなかった。」
バルフレアが何を言ってるかわからず、パンネロは首を傾げた。混乱する頭の中で、そんなふうに膝をついたら服が汚れてしまうのに、と、ぼんやりと考えた。
「男が口紅を送るのは、それを返してもらいたいからだ。」
「口紅を返すの…?」
意味がわからず、パンネロは矢継ぎ早に尋ねる。
「せっかく送ったのに?それに、返してもらっても、男の人は口紅なんか着けないでしょ?」
さっきまでベソかいていたのに、バルフレアが言っていることがあまりにも突飛に思えて、パンネロは普通に質問を返してしまう。バルフレアは、少し困ったように笑った。
「さっきみたいに、キスで返すのさ。」
諭すようなバルフレアの言い方に、パンネロはますます混乱する。
「キスで…返すの?」
言われた言葉を口の中で繰り返し、やっとその意味がわかると、パンネロは頬を朱に染め、それでも気丈にバルフレアを見つめ返した。
「からかわないでください……!」
「さっきも言っただろ?普通に言っても信じてもらえないと思ったってな。」
バルフレアがパンネロの小さな手を両手で被った自分の両手で包み込んだ。
「気づいてくれ。」
切なげに眉を寄せ、真摯にパンネロを見つめるバルフレアに胸が高鳴った。静かになったと思った心臓がまたやかましい音を立てて跳ねまわる。何故だか泣きたくなって、鼻の奥がツーンとする。
「心臓がやぶけて、口から血を吐き出しちまいそうなくらい、緊張しているんだぜ、これでも。」
「でも……でも……」
とうとうパンネロの瞳から涙がこぼれ落ちた。バルフレアは手を伸ばし、それを指でそっと拭ってやる。
「愛しているよ、かわいいパンネロ。俺からの贈り物は、お前には重荷か?」
はっきりと告げられた言葉に、パンネロは耳まで真っ赤になる。
「突然で……突然過ぎて……私、どう返事したらいいのか……」
「返事は、贈り物全部をキスで返してくれてからでいい。」
バルフレアの返事に、パンネロは少しだけ笑った。ふざけているのではないとわかったので、幾分か気持ちが落ち着いてきた。
「全部返すまで、大変だよ?」
「パンネロのキスなら、何万回でも大丈夫だ。」
「みんなに見られちゃうよ?」
「俺が最速の空賊なのを忘れたのか?誰にも気づかれない内に、お前の唇をいただくなんざ、朝飯前だ。」
「本当なの?」
「本当だ。」
パンネロはようやくバルフレアが本気だと理解したようだ。だが、あまりにも急なので、やはりどう返事をしていいのかわからない。
「言っただろ?」
バルフレアはパンネロの手を握ったまま立ち上がった。
「返事は、この口紅を全部キスで返してもらってからでいいってな。」
返事を急ぐつもりはなかった。この少女が、幼なじみの少年を誰よりも大切に思っていることをよく知っているからだ。ヴァンとパンネロの、2人だけの閉じられた世界に容易に足を踏み入れることはできないと、バルフレアはよく理解していた。だから電撃で奪い取るしかないと思った。そのためには、あの少年よりも早くこの少女の唇を奪わなければと強く思ったのだ。
バルフレアは、もう一度体をかがめ、自分が初めての証を刻んだその唇にキスをした。絶対に渡さない、その強い決意をこめたキスだった。
おわり。