コードネーム U.N.C.L.E.のイリヤ✕ギャビー

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映画コードネーム U.N.C.L.E.の旧ソ連のK.G.B.のエージェント、イリヤ・クリヤキンとギャビー・テラー 。作中、2人は何度かいい雰囲気になるのですが、なかなか進展しないもどかしい感じがすごくかわいかった。


ドアスコープから外を見ると、ギャビーが立っていた。ドアの内側から覗いている自分に気がついたのか、レンズの前で書類の入った封筒振ってみせた。イリヤは手に持っていた拳銃をジーンズのポケットに直し、幾重にも施された鍵を開けた。
「忘れ物よ。」
イリヤは黙って封筒を受け取り、中をよく確かめた。
「あんたが忘れ物するなんて、珍しいわね。」
ここは礼を言うべきなのだろうが、今はどうしてもその言葉が口から出てこない。ギャビーはイリヤの肩越しに散らかった部屋の中をチラリと見た。乱雑な部屋が気まずくて、イリヤは目を逸した。
それは日々の生活を経て、ものが散らかっているのではなく、明らかに棚を倒し、本棚の本を全てなぎ払い、ガラスでできたライトスタンドが倒れて粉々に割れていた。
そもそも呼び鈴が鳴った時点で、応対に出るつもりはなかった。だが呼び鈴は何度も何度も部屋に鳴り響き、それでイリヤはしつこく自分を呼び出すのはギャビーに違いないと、扉を開いたのだ。
「食事に行かない?」
イリヤは答えない。
「角のダイナーが、まだ空いていたわ。すごくいい匂いがしたの。私、お腹がペコペコ。」
食事をとる気分では無い。黙ったままのイリヤを、ギャビーは手をとると強引に引っ張った。
「あんただって、お腹空いてるでしょ?空いてなくても、今は部屋にいないほうがいいわ。」
腕を振り解きたかったが、何故かできなかった。心が嵐の中の救命ボードのように激しく揺らいだような感じがして、握られた手が唯一の頼りのような気がしたのだ。
結局、イリヤは行くとも行かないとも返事をしないまま、ギャビーに手を引かれたまま部屋を出た。もちろん、扉に全部で5つ付けられた鍵を全部かけるのは忘れなかった。
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地下鉄の駅からアパートに向かう途中のダイナーに、ギャビーは先に立って入っていた。アメリカ風の、男性が先に立って女性にドアを開いてやるタイミングを、イリヤは未だに覚えられない。ウェイトレスが即座にやってきて、人数を尋ねるので、イリヤは2人だと答え、1番奥のボックス席に座りたいと伝えた。ウェイトレスは快くそれに応え、2人を店の一番奥にあるボックス席に誘導した。
ギャビーはウェイトレスが置いていったメニューをめくり、その上に目を走らせ、早々に食べるもの決めたのか、手を上げてさっきのウエイトレスを呼んだ。
「ご注文は?」
「私はアストロバーガー。コンボね。サイズはSにして。ここはコークなの?ペプシ?」
「コークです。」
「じゃあダイエットコークで。彼には、ダブルベーコンチーズバーガー。彼もコンボ。サイズはL。ドリンクは…そうね、同じでいいわ。」
勝手に自分が食べる物決められてしまい、文句を言いたいのだが、ギャビーはそれを察したのか、眉をぴんと跳ねさせて、肩をすくめてみせた。
「ハンバーガーは好きになれない。」
やっと口にした言葉がそれだった。それは、イリヤの今の心情をよく表していた。
祖国で最も期待されていたテニスプレーヤーがいた。彼女は全米オープンに参加し、破竹の勢いで強敵を倒し、見事にトロフィーを手に入れた。祖国は悦びに湧き、彼女の帰還を誰もが待っていた。
だが、その3日後、彼女はアメリカ政府に保護を求め、亡命を表明したのだ。その事件はイリヤをひどく混乱させた。混乱の理由は彼女と自分は同じだと思ったからだ。
鉄のカーテンの向こうから、堕落していると教えれられてきた西側の世界にやってきてみると、街は光にあふれ、人々は自由を謳歌していた。秘密警察の目に怯えることもなく、今でもカウンター席に座った2人の酔っ払いが、今度の大統領選挙について討論を戦わせている。
その自由に惹かれる自分が許せなかった。イリヤは祖国のため、そして父の名を回復するためにKGBに入ったのだ。死ぬほど辛い訓練も、屈辱も耐え忍んできたのだ。
だが、その祖国こそが父を断罪したのではないか。ソビエト連邦と言う国から出てみると、何が正しくて正しくないのか、自分が今までやってきた事は一体何だったのだろうかと、虚無感に襲われたのだ。
チームメンバーたちとの任務は、イリヤに初めてやりがいや充実感を教えてくれた。もちろん、キレイな仕事ばかりではなかった。だが、その後味の悪さも仲間たちと分かち合うことができた。
西側の世界で居心地の良さを感じることを後ろめたく思いつつも、それでも人間の本質として、自由な生活に憧れる自分の弱さが嫌だった。
そんな思索にふけっているうちに、いつの間にか料理が運ばれてきていて、ギャビーはガサガサとやかましい音を立ててハンバーガーの紙包みを広げていた。バンズをのけ、パテの上にケチャップをたっぷりかける。イリヤは大きなため息をついた。
ストロー紙包みから出し、バンズの上に乗せられたケチャップをストローでこそぎ落とした。ギャビーがむっとして睨んでくる。
「つけすぎだ。」
「ケチャップはトマトと一緒だって、キャシーが言ってたわ。」
キャシーとは、事務を担当している中年の女性の名前だ。彼女はとても太っていた。
「キャシーみたいになりたいのなら、好きなだけケチャップをかければ良い。ケチャップはトマトだけではない。塩分もたくさん含んでいる。かけすぎは体に毒だ。」
ギャビーは何か文句を言おうとしたのだが、実際にキャシーがとても太っていることを思い出し、大人しく手に取ったケチャップのビンをテーブルに戻した。そして、大きく口は開いて、ハンバーガーにかぶりついた。
「食べなさいよ。」
口いっぱいにハンバーガーを頬ぼったまま、イリヤに食べるように促す。イリヤは横を通り過ぎようとしたウェイトレス呼び止め、新しいストローもらった。それをカップにさし、ダイエット・コークをすすった。砂糖ではない、人工甘味料の味が舌の上に残る。
「ひどい顔してるわよ。」
イリヤは答えないで、窓の外を見た。ニューヨークは眠らない街だ。外には深夜にもかかわらず、たくさんの人通りがあった。遠くからパトカーのサイレンの音が聞こえてくる。
「何を悩んでんの?」
ハンバーグにかぶりつき、咀嚼し、飲み込む、その間にギャビーはイリヤに質問する。イリヤは何も言わない。言えない。目の前の紙包みを開き、ハンバーガーを口にした。食べている間は答えなくてもいいと思ったからだ。
「別に答えなくてもいいけど。」
ギャビーは音を立ててコークをすすった。
「大体見当はついているし。」
イリヤは聞こえないふりをして、ハンバーグをかじる。
「わかっているのは、私は壁の向こうにもう帰らないし、帰るつもりもない。でも、あんたはいつか鉄のカーテンの向こうに帰ってしまう、ってことだけ。」
イリヤは食べるの止め、ピタリと静止してしまう。
「こちらに残るつもりはないの?」
イリアは周りを見渡した。監視の目を恐れたからだ。酔っ払い達はいつの間にか帰っており、ダイナーの中には自分たちだけしかいなかった。
「そのつもりはない。」
「でも揺れている。」
イリヤは手に持っていたハンバーガーをトレイの上に置いた。ギャビーはソロの言葉を思い出してた。K.G.Bのエージェントへの教育は徹底している。洗脳と言っていいほどだと。
さらに、イリヤは父親はシベリアに送られたと聞いた。家族の誰かがシベリアに送られると、残された家族も生活が苦しくなる。ひどい差別を受ける。東側にいたギャビーは誰よりもそのことを知っていた。そんな状況にも関わらず、祖国への忠誠が捨てられないのだろうか。
「私は帰りたいとは思わないけれど、あんたはそうじゃないのね。」
ギャビーは手を伸ばし、イリヤの手に自分の手を重ねた。
「私たち、当分、まだチームメイトでいられそうね。何しろ、有能だから。」
いたずらっぽくギャビーが笑う。重ねられた手にケチャップがついていたのか、イリヤの手にもケチャップがついてしまう。
「でもね、急がなくてもいいと思う。その時が来るまで、仲良くしましょう?」
ギャビーはイリヤの顔を覗き込む。
「あんたはきっと、いつか決断を下さないといけないと思う。その時はイデオロギーと、仲間のことで苦しむと思う。」
ギャビーは重ねた手に力を込めた。
「でもね、私はあんたを信じてる。」
そして、ね?と言いたげに首を傾げてみせる。イリヤは、ほんのわずかに、本当にわかるかわからないほどだが、頷いてみせた。
「だから、あんたも、私達を信じて。」
そう言うと、柄でもないと照れたのか、慌てて手を離そうとする。
「ごめん!ケチャップがついちゃったわね。」
空いた手でナプキンを取ろうとすると、イリヤがギャビーの手の上に、もう片方の手を重ねた。ギャビーはちょっと驚いた顔をして、いつものように肩をすくめた。
「構わない。」
ギャビーはそわそわと視線をさまよわせたが、自分をじっと見つめるイリヤの視線を受け止め、ゆっくりと顔を近づけた。イリヤも顔を少しかたむけ、もう少しで唇が重なる、その時に、
「お客さん、支払いはキャッシュ?カード?」
と、さっきのウエイトレスがブース席をひょっこりと覗き込んだので、慌てて手を離した。
「え、ああ、えっと、キャッシュで。チェックをお願い。」
ウエイトレスはニヤッと笑って席を離れ、2人は気まずく咳払いをしたり、意味もなく髪を撫でたりしたが、やがて目が合うと、2人同時に吹き出したのだった。
おわり。